2008年06月

鼠の目#385(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

カラシニコフ


痛む掌を押さえながら、長田は兵員宿舎と思しき仮設テントへ向かった。

見知った顔もあれば、知らない顔もある。

しかし、どの顔も緊張感がありありと見て取れる。

なにかが起こる、その予感が誰にもあるのだろう。

さきほど文龍名のところで出会った西村の顔が見えた。

長田は、西村、と声をかけた。

「おや。長田さん。どうしました」

「ああ、いよいよだなと思ってね。オレも準備に入ったほうがいいだろうと考えていたんだ。文龍名からも力を貸してくれくれ、といわれてたからな」

西村があどけない笑顔をみせた。

「そうですか。そりゃありがたい」

それでな、と長田は話の腰を折った。

「手を少し怪我している。骨がいかれている。添木にバンテージをもらえないか。あ、それにライフルの場所も教えてくれ」

「お安い御用ですよ。こんな山の中ですからね、メンバーに生傷が絶えなくて、ふんだんにありますよ。あ、それとライフルは隣の小さいほうのテントにあります。全部、カラシニコフです。M16は残念ながらないんです。長田さんの演習はどっちでした?ま、どっちでも大丈夫でしょ、長田さんなら」

その問いに、長田は、さも当然なように顎を引いた。

「じゃ、添木とバンテージ取って来ます。ちょっとまっててください」

テントの周りに置いてある、電池式の蛍光灯が鈍い光を放っていた。

それを頼りに武器庫とも呼べるテントを覗いて見た。

カラシニコフが十数挺、その横に実包の箱が積み上げられている。

弾数がどれくらいの数になるのか、長田には理解できなかった。



鼠の目#384(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

エセ


カルトのやりくちもこれと同じだ。

健康に不安がある。

末期がんだ。

親子関係が悪い。

不幸が続く。

そのときカルトはいうね。

その原因はこれです、と断定するのだ。

宇宙の根幹はナニナニから成り立っています。

そのナニナニを賦活化させるこれを飲めば、あるいは日々身につけていれば、またあるいは帰依すれば、あーら不思議、すべてがうまくいきます、とね。

こういのを人の弱みに付け込む、という。

弱みに付け込んで、さらに恐怖心や不安を煽り、カルトの土俵に持ち込み、金を、精神を、生活のすべてをを収奪するのだ。

脅しの上に、安心の落としどころって寸法だ。

どうかね、ヤクザとまったく一緒だろうが。

おっと、また脱線したな。

すまねぇ。

説教と脱線が初老の悪癖だ。

記事に戻ろう。

欧米ではエセ科学はまず相手にされないそうだ。

この新聞記事の筆者は、その背景は西洋的合理主義の風土であろう、と解していた。

しかし宗教的カルトとなると、枚挙に暇がないらしい。

これはキリスト教の限界値がここらあたりではないのか、と推論している。

もっともオレは宗教の限界値ってなんだよ、と毒づいたがな。

日本では神秘水や波動といったモノを媒介とするカルト的インチキ科学が猖獗を極めるとある。

現世利益をモノに媒介させようとする日本人の自他未分化な自我の表れではないか、と続く。

なんだこりゃ?

この論文そのものがカルトか?

おエライ先生のお書きになる論文はこれだからいけない。

晦渋に書けば重々しいとでも思ってんのかね。

オレにいわせりゃ、文意の通じない文章はクソだな。

ちょっとえらそうにいえば、梨棗災罹という。

紙の無駄、ってこった。

ただひとつ気になる一説があった。

カルトは西洋的合理主義と東洋的神秘主義とせめぎあう中で発生した、というご託宣だった。



鼠の目#383(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

恐喝


後学のためにヤクザの恐喝方法を教えといてやろう。

例えばな、あるカタギからヤクザが金を巻き上げようとする。

多分、そのときヤツらは二人で来るはずだ。

なんで二人かは、このまま読んでりゃわかる。

まず恰幅のいい重役然とした男が会話の口火を切るはずだ。

こうこうというわけだから、金を寄越せ、あるいは権利を寄越せ、とね。

それは当然ながら極めて理不尽な要求なのだから、誰しも拒否する。

さ、これからだ。

ヤクザのヤクザたる本質が画然となるのは。

もうひとり、いかにもヤクザ然とした男が暴力の匂いをプンプンさせながら吠え出す。

「てめぇ、黙って聞いてりゃ図に乗りやがって。ナメんじゃねぞ。こっちだてガキの使いじゃねぇんだ。はい、そうですかで帰ると思うなよ」とくる。

大声で。

しかもフトコロの匕首が見えるようにしながら。

常識は当然通じない。

ヤクザなのだから。

まわりの怯えたような視線も居心地が悪い。

助けを求めようにも、誰も後難を怖れて近寄りもしない。

机を叩きつける、聞くに堪えない罵声を浴びせる。

恐怖に支配され、思うように声もでないし、身体は強張ったままだ。

そこで、最初の重役然とした男がとりなすようにいう。

「まぁ、まぁ。そう荒立てても前に進まない。じゃあ、どうです、カクカクシカジカの条件でどうですか」と最初から企図してある落としどころを提示するはずだ。

まず健全な判断はできないだろう。

今、ここにいる二人から逃げ去りたいだけの心情にある。

そこになんとか呑めそうな条件が提示される。

諾ける。

恐喝成立だ。

拒否したら?

簡単さ。

果てしないループが続くんだ。

最終的にヤクザの要求を呑むまでね。



鼠の目#382(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

水からの伝言


無論それは物理学における波動力学ではない。

憶えちゃいないか?

高校で習ったろ。

周期とか波長とか、ああ、ホイヘンスの原理なんてのがあったな。

オレもウロ憶えだが。

サイン、コサインとか頭を捻ったヤツだよ。

おっと、オレに物理学の説明は無理だ。

とにかく記事を読み進めよう。

例えば「水からの伝言」というカルト本への言及がある。

美しい言葉をかけた水は、罵声を浴びせた水よりはるかに見事な結晶ができるというアレだ。

ちゃんちゃらおかしい。

どこをどう探ってみればこういう発想が出てくるのか。

水は水だ。

感性として水に意志があると考えるのはよろしい。

しかしそれを波動たらいう概念で括って、科学にデッチあげるのが、エセのエセたる所以だ。

呪術と科学のすり替えだな。

また、これを真面目に信じる教師が多数いるとも書いてある。

ホントかね?

大学教育を受けてもこの程度のエセにコロッと騙されるなんざ、オマエらに冷静な批判精神はないのかね、と毒づきたくなるな。

それを小学校のクラスで追試するオオバカ教師もいるそうだ。

平和なんだか、この程度の教師しか育てられない和朝の民度なのか、悲しくなるぜ、おい。

ヤツらはエセであるがゆえ、呪術と科学を臨機応変に使い分ける。

臨機応変といえばサギの要諦だ。

あるときは化学的に、あるときは呪術的に。

サギは常に相手の寸法に合わせる。

ああいえばナンタラとかいうオウムの広報部長がいたろうが。

あれを想像すればいい。

またそれくらいの小器用さがないと、サギやエセ科学はやってられんよ。

なにしろ単なるミネラルウォーターを、波動水という名前でベラボウな値段をつけ、売り逃げようというんだ。

なまなかなオドシやスカシじゃ、無理だ。

不安を煽りに煽った上で、その不安の受け皿を用意してやるんだ。

ヤクザがカタギ衆をおどすやり口と、寸分違わない。



鼠の目#381(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

北朝鮮


ハイライトに火を点け、朝刊を広げた。

一面からザッと目を通す。

新聞くらい、ちゃんと目を通すぜ、オレだってな。

ネットですまそうなんて思っちゃいない。

将来的にプリントメディアがどうなるのかは知らんよ。

そんなのはお偉いセンセイ方にお任せしよう。

しかし、オレは古い人間だ。

ネットは便利だが、いまひとつ胡散臭さを感じる。

逆に紙に印字されているから信じる、と無原則な判断停止もしない。

ただな、オレはこれだけの情報が毎朝配られて、それでいくらもしない、ということは驚くべきことだと思う。

携帯電話の無駄話に何万円もつぎ込むなら、その何割かで新聞でも読んでいたほうが、よほど生産的なのではないかと思うがな。

いや、いいんだ。

クソ初老の説教だからな。

時代遅れなんだろう。

もっとも時代遅れでオレはいい。

一面、内政、国際、経済と読み進め、文化面をめくったときだ。

「カルトの今」という見出しが目に飛び込んだ。

オレは少し居ずまいを正して読み進めた。

話はオウム教団から展開されていた。

確かにあれはカルトという存在が急に不気味になるきっかけとなった事件だった。

たった一人の教祖の存在が、人間の思考を停止させ、唯々諾々と信者を無差別大量殺人者に変質させていった。

人間の批判精神の深刻な崩壊ぶりをまざまざと見せつけられた。

しかし、とオレは思う。

それが国家的になれば現在の北朝鮮になり、中国になるじゃないか、と思う。

なぜなら偏狭なナショナリズムとはカルトの別に謂いではないのか、とオレは直感しているのだ。

さらに読み進めると「波動」という言葉に当たった。

教団としての波動でなく、エセ科学としての波動がまず取り上げられていた。



鼠の目#380(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

槍ヶ岳


さて。

これからの用意をしなきゃな。

ああ、もう面倒だな、と嫌気がさした。

と、見るとオレのデスクの隣にグレゴリーのバックパックが置いてある。

そうか、由美子が用意する、といっていたアレだ。

しかしこんなもの、どこにあったんだ。

まったく由美子の収納の完璧には驚かされることばかりだ。

中味は多分必要十分なものが入っているだろう。

きっちりとパッキングされているから、ここで確認のために御開帳したら、オレに再パッキングは無理だ。

由美子を信じてりゃOKだろう。

あと現金とカード、それに煙草と気付薬のバーボンを放り込めばいい。

となれば身繕いだけだ。

オレは手始めに五本指のコットンソックスを履き、その上にウールソックスを重ねた。

ウールソックスだけだと、足指間が蒸れてかなわない。

とりわけかなりの歩行を強いられるであろうから、ここが肝心なところだ。

足が軽いと、歩行がまったく違う。

さらに下着は上下とも化繊のそれに換えた。

登山用のやつだ。

アウターのシャツとパンツも登山用にする。

足固めはゴアブーティの頑丈なハイカットトレッキングシューズにする。

あとはゴアテックスの上着を羽織ればいい。

まあ、いってみれば中高年の正しい山行スタイルみたいなもんだ。

そのまま槍でも穂高でも行けるぜ。

一通り身繕いを終え、オレは茶を淹れた。

茶葉をおごってうんと濃くいれた。

あちらじゃのんびり茶を啜るなんてできまい。

一応、カローラにはMSRのストーブが放り込みぱなしじゃあるが。

茶と一緒に梅干をしゃぶる。

昔ながらの酸も塩もきついやつだ。

減塩梅干なぞクソクラエだ。

重篤な腎臓病患者ならいざしらず、梅干一個に減塩のどうとかこうとか、常軌を逸してる。

なんかもう当たり前の生活を送ることに汲々としてんじゃないのか。

そんなに息苦しい生活のほうがよほど病気になるぜ、と諭してやりたいくらいだ。



鼠の目#379(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

貝印


なにかに突き動かされるように、突然、目覚めた。

いけない、どうなっちまったんだ。

オレは上半身を起こし、周りを見渡した。

和田由美子の姿はない。

彼女とセックスをしたことまではありありと記憶している。

そうか、その後、墜落するように眠り込んでしまったんだ。

放つだけ放っておいて高鼾とは、なんともデリカシィに欠ける。

それは後悔といったネガティブな感情ではないが、どうにも据わりの悪い心持がした。

時計を見ると八時を指している。

オレとしてはかなり眠ったほうだ。

まあ、とにかく身繕いをしよう。

この情けないフルチン姿にせめて下着くらい与えなきゃな。

オレはベッド下に散乱しているはずのトランクスを探した。

しかしベッド下はきれいに片付けてある。

由美子が始末をしてくれたのだろう。

フルチン姿を晒した初老男を見ながら、そいつの下着を片付ける思いはどうたったんだろう。

決して美しくない。

いや、おぞましいという言葉しか浮かんでこなかった。

クローゼットからバスタオルを取り出し、腰に巻く。

とりあえずシャワーだ。

石鹸で身体を洗う。

髪も石鹸だ。

シャンプーなるものは髪がヌルヌルしてかなわない。

汚れが落ちる感覚がない。

髭も当たる。

替刃も新品に取り換える。

オレはあまり髭が濃くないので、替刃も頻繁に換える必要がない。

しかしそれはそれ、新品だと肌へのあたりが違う。

このあたり、男ならわかるな。

歯も丁寧に磨いた。

舌の苔も歯ブラシでこさぎ取った。

すべてを洗い流し、身体を拭く。

シーブリーズを振りかけて終了だ。

薄膜のような初老分泌物を取り除いた爽快感がある。

洗濯したてのトランクスに足を突っ込むと、生まれ変わった気がする。

もっともトランクスの洗濯も由美子にやってもらっているんだがな。



鼠の目#378(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

固め


男が長田の正面に立った。

「そういうことだ。御先師様がオマエ風情に知り合いなもんか。これ以上、騒ぐな。騒いだらオレがオマエを黙らせる」

「うるせぇ。チンピラがガタガタいうんじゃねぇ。オレは中に入るぜ」

長田が足を踏み出そうとした刹那、男の手刀が長田の粉砕された掌をしたたかに打った。

ぐあああ、と長田は絶叫し、手首を押さえたまま膝から崩れた。

男は構わず長田の蓬髪を掴み、苦しげな声をたてる口をもう片方の手で塞いだ。

ムンズと首を捻じ曲げると、声を潜めていった。

「静かにするんだ。ガキみたいに泣き喚くな。波動一の腕っぷしが聞いてあきれるぜ。四の五のいわずにテントへ戻るんだな。でなきゃたたき出すぞ」

男は長田より若い分、スピードも膂力も勝っている。

若さという威勢に任せて暴発できるのだ。

若い頃の長田ほどではないにせよ、だ。

蓬髪から手を離し、今度は背中側に逆手で長田の腕を捩じ上げた。

声をたてるな、とドスを効かせながら。

強引に長田を立ちあがらせ、強靭な背筋力をもって長田を押し立てた。

「いいか、ここは波動のキャンプということを一瞬も忘れるんじゃねぇ。オマエの腕っぷしがどうなのか、そんなこたぁ知ったこっちゃねぇ。役にたたねぇのは、ここじゃクズだ。それになにより御先師様にふざけた態度はとるな。わかったな」

男はギリギリと力を込めた。

長田はンググとくぐもった声をあげただけだ。

「聞こえねぇ。どうなんだ、はっきりしろ」

長田の腕が折れる寸前まで捻じ曲がった。

「答えろよ。どうなんだ」

「わ、わ、わ、わかった」

「そうか、じゃあテントに戻れ」

そういうと男は長田を突き飛ばした。

ザザッと地面に身体がすべった。

長田は掌をかばったため、したたかに腰を打った。

ハッキリと殺意が芽生えたのは、この瞬間だった。


鼠の目#377(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

後ろ蹴り


オレをイラつかせるな、という男の言葉に、長田の拳が飛んだ。

無論、ケンスケに粉砕されていない方の拳がだ。

男はきわどくスェーしたが、わずかに反応が遅れた。

長田の拳半分が男の顎先を打ち抜いた。

東屋の壁に男は激突した。

さらにつっかかろうと長田が一歩前に出た瞬間、男は軽業のような速さで立ち上がり、後ろ蹴りに長田の腹を蹴り上げた。

ウッ、と呻いて長田は身体を折った。

逆にトドメを刺そうと男が身構えたとき、なにを騒いでいるの、という声がした。

長田と男は同時に振り返った。

白装束の女が立っていた。

「なにをしているの。騒いでいる場合じゃないでしょ」

あ、申しわけありません、と男は畏まった。

だれなの、あなたは、と女が長田に問うた。

長田が下卑な笑いを浮かべた。

「おいおい、お忘れかい。オレだよ。長田だよ」

「長田?知らないわ」

長田の顔がみるみる赤黒くなってきた。

「いい加減にしろよ。やっとのことでここにたどり着いたんだ。知らないはないだろう」

男が咎めるような顔つきになった。

「おい、長田とやら。御先師様にぞんざいな口をきくんじゃねぇ」

「黙りやがれ、ドチンピラ。オイ、真理子。やっと逢えたんだ。中で積もる話でもしようぜ」

「知らないものは知らない。それにわたしは真理子ではないわ。第一、あなた波動のメンバーなの?」

「真理子じゃない?どういうことだ?どうした、忘れたのか?波動で一番腕っぷしのたつオレのことをよ。一緒に熱い思いもしたじゃねぇか」

「波動のメンバーなら、今、騒いだりしないわ。静かに明日に備えなさい。文龍名の指示を待ちなさい」

そういうと女は警備の男に向き直った。

「今は明日の戦力が必要なの。聞き分けできるようにその男を躾けなさい」

それだけいうと女は中へ消えた。



鼠の目#376(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

赤軍


チェッ、文龍名め、まったくいまいましいクソ野郎だぜ…ブツブツと呪詛の言葉を撒き散らしながら、長田は闇の迫る中を歩いていた。

チラホラと波動のメンバーが見える。

若いのや中年、年齢差はあるが女は一人も見えない。

それは仕方あるまい。

これからドンパチがおっぱじまろうとしているんだ。

女は足手まといにこそなれ、戦力にはならん。

どうせ連合赤軍の浅間山荘事件ように、相手の圧倒的な火力、人員、兵站に踏み潰されるのだ。

女は男の戦意を高めるために、安全なところで股を開いてくれてりゃいい。

ジェンダー差別でなんかあるもんか。

そもそも平等なんてクソクラエ、だ。

女は男を腹の上で泳がせてりゃいいんだよ。

射精して男の腰が軽くなりゃ、それだけ戦意も高まるさ。

長田の女の見方はこうだった。

薄闇の向こうに、さらに濃く闇が佇んでいた。

その闇の中に、板で囲まれた一画がある。

長田はそこが川崎姉妹がいるところだろうと見当をつけていた。

近づいてみると、一画を囲む板は杉の無垢材だった。

神域に相応しい清浄感がある。

口形の囲みの一部が切れ、そこが中の東屋への入口になっている。

切れ口の前には歩哨と呼べばいいのだろう、屈強そうな若い男が立っていた。

オレと同じような匂いがするな、と長田は思った。

誰だ、オマエは、とその男が長田を誰何した。

初対面の男だ。

「オイ、オマエ。オレを知らないってな、モグリか」

長田は威圧的に答えた。

「知らんね、オマエのような汚い野郎は。テメェのような不浄が立ち入るところじゃねぇ」

「なんだと、こら。口には気をつけろ。オレは気が短いんだ」

「短けりゃどうした。失せろ、このゴミタメ野郎」

男も傲然といい放った。

暴力嗜好者同士の剣呑な会話だ。

いってみれば暴走族が路上で鉢合わせをしたようなものだ。

虚勢のぶつかりだ。

腕力だけが支配する荒涼とした精神風景だ。



鼠の目#375(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

切手


オレはベッドに横座りになり、由美子を見下ろした。

小鼻がふくらみ小さな喘ぎが聞こえる。

唇が軽く開かれ、時々、舌先が顔をだし唇を湿していた。

興奮で乾くのだろう。

「いつか由美子と交わりたい、と心の奥底で意識していたんじゃないか、と思う」

由美子を見下ろしながらいった途端、オレは後悔した。

あー、こんなところで心情を説明してどうする。

野暮も野暮、大野暮だぜ。

度し難い大馬鹿だ。

由美子はオレの逡巡を察してくれたのだろう。

黙って、というとオレに両手を絡みつけ、自らの身体にオレを引き付けた。

自然、オレは由美子に覆い被さった。

牝の匂いと由美子の汗の匂いがオレの鼻を心地よくさせた。

オレの最後の逡巡がサッと消えた。

由美子の中は熱く滑らかにじっとりと湿っていた。

掌に余る乳房の重みが心地よかった。

少し弛緩しかかった腹部の脂肪が、女の漲りを感じさせた。

オレを含んだ口中の唾液の擦過感が愉悦を加速させた。

最後にオレの腰を両腿で強く挟み、さらに貪るように大腰を突き上げた。

子宮壁の奥の奥、オレの堰が崩壊し、大量に爆ぜた。

喘ぎ喘ぎ、呼吸の静まるのを待った。

互いに無言だった。

由美子はオレの懐でオレの手を握り締めていた。

呼吸が落ち着くのと軌を一にして、ハルシオンの薬理がオレの細胞を溶かし始めた。

オイ、これからどうするんだよ、とオレの理が困惑の声をあげたような気がした。

しかし薬理は単なる理より、はるかに強力だった。

いくらもたたぬうち、オレの意識は奈落へ墜落していった。



鼠の目#374(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

ベッド


唇を離し、オレは和田由美子を横抱きに持ち上げた。

腰がミシッと悲鳴を上げた。

鈍い痛みが臀部から膝裏に走る。

クソッ、昔なら軽々と持ち上げていたんだがな。

とにかく、ここが男の踏ん張りどころだ。

繰言をいっても詮はない。

由美子に腰のことを悟られないよう、なるたけ涼しい顔をしてオレの簡易ベッドに由美子を運んだ。

このときばかりは米国製の簡易ベッドにしておいてよかった、と思った。

日本サイズのシングルベッドなみの大きさがある。

ゆっくりと由美子の身体をベッドに置く。

中腰の姿勢に腰が割れそうだ。

由美子の視線はオレを離さず、双眸がフェロモンに潤んでいた。

性の期待。

オレの目もそうなっていたろう。

欲望にぎらついた淫靡な目だ。

しかし、それはそれでいい。

今からやろうとしているのはセックスだ。

勉強でもなけりゃ家事でもない。

男と女が原始に還元される行為なのだ。

そこで取り澄ました常識面を下げてどうする。

確かにオレは常識のないバカが嫌いだ、といった。

しかしな、セックスの際に常識ぶってどうする。

成熟した男と女が合意の上で行う性行為なんだ。

人に迷惑をかけない限り、なんでも好きにやればいいんだ。

SMでもスカトロでもコスプレでも、なんでも。

和田由美子の身体全体から女の匂いがきつくなってきた。

そう。

これでなくっちゃいけない。

牝の匂いこそが雄性を加速するのだ。

征服欲を高めるのだ。

この女を組み敷き、その体内にオレの精液をぶち込んでやる、という原始感情をかきたてるのだ。



鼠の目#373(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

キスシーン


どれくらいそうしていただろう。

オレの胸に横顔を埋めていた由美子が顔を上げ、オレの両頬を掌ではさんだ。

加齢と労働で少しだけ生活感のある触感だった。

オレはそれが気持ちよかった。

成熟した女の手だ。

エステだ整形だと狂態を尽くすクソ女のそれではない。

まっとうな生の証だ。

いいか、この生活感の典雅さがわからないようじゃ、まだまだ自分はドチンピラだ、と覚悟するんだな。

由美子が少し背伸びをした。

薄いルージュの引かれた唇がオレのそれに近づいてくる。

あるがまま、そう、あるがままにオレは従容と受けた。

由美子にしても跳躍するような思いでこうしているのだ。

愛おしいじゃないか。

女の気持ちに答えなきゃいけない場面じゃないか。

両手を由美子の背中に回し、ゆっくりと、しかしパトスをこめ力をいれた。

やわらかな由美子の皮下脂肪が感じられる。

ああ、これが女のたおやかさであり、生の豊穣だ。

男の乾燥を補う女の湿潤だ。

由美子の唇がオレの唇を塞いだ。

そこからおずおずと由美子の舌が侵入してきた。

オレはその唇に最大限の敬意を払い、オレの舌で答礼をした。

滑らかに、じっとりと二つの舌が絡み合い、互いの存在を確認しあう。

愛している、という内意をこめ、粘膜同士がもつれている。

あたかも舌そのものに能動的意志があるかのような動きだった。

舌の交歓は、オレの決意を起動させるのに有り余るほどの信号だった。

オレの下半身が熱く励起しはじめた。



鼠の目#372(ほぼ前文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

コンドーム


和田由美子は言葉と肉体でコミュケートできる女だろう。

無論、平生の暮らしの中では言葉だ。

しかしごくごくプライベートなコミュニケートは男女ならセックスでしかありえない。

飢えたガキならいざしらず、成熟した大人ならセックスへの対応を常に顧慮すべきだ。

避妊にも気をつけて、な。

あー、いいことを教えてやる。

わたしの体が目当てなのね、とかタワゴトをいう女は放っておけ。

つまりその女にとって、肉体は精神より下位にしかないのだ。

その体も自分自身である、という重大な事実に気づいていない。

つまり、事実に想像を巡らす人間力が欠落しているのだ。

そんな女はどうせロクなもんじゃない。

それこそ体だけを目当てにしてりゃいい。

またそういう女に限って、すぐに股を開くし、床上手でもない。

どうして、こうも女ってやつは…。

いけない。

クソな説教垂れている場合じゃなかった。

オレは今、和田由美子とギリギリの瀬戸際だったんだ。

お互いにオズオズと恋愛感情を吐露し、沈黙しているんだ。

クソッ、恥ずかしいが、続けるぞ。

オレは意を決して立ち上がった。

まだ大丈夫だ。

酒にも酔っていない。

ハルシオンの効果も、まだない。

和田由美子の横に彼女の手を取った。

由美子がオレを見上げている。

それを合図のように由美子も立ち上がった。

オレは両手を回し由美子の腰を抱えた。

由美子が柔らかくオレの体に体重を預けてきた。

柔らかくたおやかで、洋服越しにも由美子の血液が温かく流れているのが感じ取れた。



鼠の目#371(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

バカは火事より怖い


オレはずっとその覚悟を変えなかった。

臆病といわれれば、その通りかもしれん。

しかし居心地は悪くない。

惚れたの、愛しているだの、面倒極まりないと忌避していたし、関わるつもりもてんでなかった。

男に理解できぬ、いや、少なくともオレには理解不可能な女という存在に対しては、敬して遠ざけるのが一番だった。

いうだろうが。

遠き慮りあれば近き憂いなし、ってな。

ところが現れたのが和田由美子って寸法さ。

一目惚れかい、とかいうんじゃねぇぞ。

顔やボディの良し悪しで判断するほど愚劣じゃねぇ。

前にもいったろ?

突き詰めれば恋愛感情であれセックスであれ、人と人とのコミュケートだ、と。

オレはバカが大嫌いだ。

断っておくが、学歴のことなんかをいっているわけじゃない。

簡単なことさ。

常識や品性といいかえてもいい。

つまり当たり前のことができりゃいいんだよ。

もっともこんなことをくだくだしくいわなきゃいけないくらい、世にバカが跳梁跋扈しているってことだがな。

例えばバカであることを誇るバカがいる。

モノを知らないことを誇ってどうするんだ?

オレはそれがわからない。

そのバカがいいたいのは、ボクって三歳児のような純真無垢なんだよ、っていいてぇのか?

知らなきゃ学習しろ。

知らないまま過ごすより、知ったほうが面白かろう。

例えば子供と一緒にいて、この子に叱られるんですよー、と無邪気にタワゴトを吐くバカ親がいる。

オマエはガキよりバカなのか?

そのガキをオマエが躾けてんのか?

バカが拡大再生産するから、もう親であることをオマエはやめろ。

そうとしかオレには思えん。

バカであることを慫慂するバカ世相にあって、常識は大海の一滴か、とさえ感じる。

その苦々しい思いの中で現れたのが彼女だ。

そう。

和田由美子は極めて常識豊かであり、高い品性があった。



鼠の目#370(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

ハート


笑われるかもしれんが、オレの心臓はバクバクだった。

女と寝たことは人並みにある。

ただそれは行きずりのなりゆきばかりだ。

後腐れなんかなんにもない。

アイコンタクトというか、阿吽の呼吸でそのまま同衾、ってことばかりだった。

酒精に加速された淫夢のリアライズといったところだろう。

ところが今回は、惚れている、と自覚する女と交わろうというのだ。

そんなこと、もう記憶そのものが曖昧模糊としている。

いったいいつのことだったやら…。

ずっとずっと昔だった。

オレがまだウブなクソガキだった頃だ。

青年独特の自意識過剰と性欲過剰で、オレの頭と下半身はてんで統合が取れていなかった。

男の誰もが通過するように、自慰行為に罪悪感を感じ、そのくせ性の妄想で頭は常に沸騰していた。

ああ、こいつは女性にゃ理解できないかもしれんな。

なんといったらいいかな、あー、つまり自慰は男には必須科目なんだが、女には選択科目だ、というくらいに理解してくれ。

まあ、青年は常に壮大な勘違いと鬱懐にある、ということだ。

オレも煮えたぎるような年代にあった。

女と見れば、性とリンクしてしか考えられなかった。

しかしそこで出会ったのが、Sという女だった。

オレは完全にいかれてしまった。

この女のためなら、なんでもする、と錯乱した。

恥ずかしい言葉だが、恋、ということなんだろう。

オレは世に愛が存在することに、そのSという女の存在に狂喜していた。

ウブだったんだよ。

オレもね。

どうなったか、というとだな…。

要するに手酷くオレは弄ばれたんだよ。

そりゃ荒れたさ。

恥ずかしながら、泣いたぜ。

ヤケ酒も浴びるように飲んだ。

でもな、女に振られて泣くなんざ、今から考えりゃ、幼稚極まりない。

それ以来、オレは女を好きになろうなんて、ハナから思いついたことがない。

要するに女は裏切るようにできている、と思うことにしていた。

そう覚悟さえしておけば、どんな女に対してもフフン、と笑っていられる。

恬然としていられる。



鼠の目#369(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

コイントス


「さっき、やっと由美子って呼んでくれた」

「そう。自分でも驚くほどスンナリ、とね」

「でも、呼んでくれてうれしいわ。今までは少し敷居の高さを感じていたのよね」

「高くはない。むしろこっちが高くしていたようなもんだ」

「どういうこと?」

「聡明な君ならわかると思う」

オレは判じ物のような返答をした。

しかし和田由美子ならその意味がわかる、と確信していた。

そもそも想像力に欠ける女にオレが惚れることは決してない。

「そう。なかなか答えにくいわね」

「だろうな。オレだって平静なわけじゃない。高校生のように心臓が波打っている。暴力団とスッタモンダやっているほうが、まだ落ち着いているな」

「あら、わたしもよ。初めてのデートのときのような気分。何年ぶりなんだろう」

和田由美子が短めのストレイトヘアを両手でかきあげた。

先ほどまでのやや疲れた表情はなく、突き抜けたような輝きが見て取れた。

「どうなのかな、と若干、オレは躊躇している。君は娘を殺されたばかりだ。しかも何年か前に最愛のご主人を、病気とはいえ亡くされている。そこにオレのようなドブネズミが土足で這い上がるような真似をしていいのか、とね。まるで火事場泥棒じゃないか、とね」

あのね…、と口に出し、和田由美子は下を向いた。

一気に堰の切れそうな巨大な水圧に耐えているように見えた。

ああ、一番あらまほしくない状況だ、とオレの理が嘆いている。

逆にオレの情は、このまま流れればいいさ、と主張している。

その間にあって、オレという人間が右顧左眄している。

判断に窮したときはコイントスが一番手っ取り早いのだが、今、ここで、というわけにもいくまい。

和田由美子が決然とオレを見た。

ああ、ここなんだろうな、とオレのスーパーバイザが情の蛇口を捻った。

「わたし、あなたを愛していると思う」

オレの理は下手に引っ込んでいった。

「オレも多分そうだと思う」

「どうしてお互いにいえなかったのかしら」

「君は慎み深く、オレは臆病なのだ」

沈黙が訪れた。

ここでオレがなにもアクションをしなければ、それこそ野暮の極みだろう。

そうじゃないか?



鼠の目#368(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

茶


オレは和田由美子と並んで歩き続ける。

指呼のうちにメインストリートに出た。

右に行けば和田由美子のマンション、左だとオレのヘッポコ事務所だ。

オレは右に行くものだ、と理解していた。

ところが和田由美子は事務所に戻ろう、という。

「どうしてだい?」

「明日の用意ができていないじゃない」

「適当に詰め込めばいいんだろ」

「その適当ができるの?」

ウッ、とオレは詰まった。

そう、事前の準備とか、今まですべて彼女に頼んでいた。

過不足なしで、それは見事に用意されていた。

オレがやれば間違いなく余分なものがありすぎ、必要なものが欠品しているだろう。

「あー、多分、メチャメチャになる予感がする」

「明日はわたしも同道するのよ。ちゃんと用意しておきたいわ」

「痛み入る。すまないが…頼む」

オレは素直にその申し出を受けることにした。

薄っ暗い階段を上がり、ヘッポコスチールドアを解錠し、中へ入る。

ドア下に突っ込んであるDMの類はそのままゴミ箱行きだ。

オレは倒産したラブホテルから失敬したソファに腰を落とした。

今となっては、その形状が妙な気分を励起させる。

お茶でも淹れましょう、という由美子の声に、頼む、と答えた。

明日のためにハルシオンの力を借りて眠ろう。

ハイライトを喫い終わる頃、じっくりとぬるめに淹れたお茶をお盆に載せ、由美子が対面に座った。

お茶も淹れ方次第でまったく違う。

事務所のお茶は、決して安物のそれじゃない。

オレ自身が日本茶派であることもあって、結構、上等な茶を置いている。

しかし、オレが雑に淹れてしまうと、これほどうまくはならない。

一口含むと、身体全体から力が抜けた。

緊張が一気にほどけるようだ。

もう一本ハイライトをくらせながら、オレはぼんやりと和田由美子を見ていた。

ああ、確かにいい女だ。

間違いなく心が動いているな、と思った。

ただな、好きだの、惚れただの、そういう言葉を吐きまくるには、オレは少しばかりスレすぎた。



鼠の目#367(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

車券


「そしたらね、フッと楽になった。すっかり楽に、なんていわない。自殺という考えにがんじがらめになっている自分が、無駄に落ち込んでいるように思えた」

オレはハイライトに火を点け、吸い込んだ。

いがらっぽさが心地よかった。

「無駄に?どういうことなんだろう」

携帯灰皿を取り出し、灰をこすりつけた。

火玉の赤身が少し闇に浮かび上がった。

「自殺はあとでもできる、っていうこと。たとえば長田を懲らしめられるとすれば、それはわたしの大いなる喜び。その喜びを味わってからでも死ぬのは遅くないわ、と閃いたの」

「そう。ますます説得力を感じるな」

「だからね、こうすることにした。まずなにか目標をたてよう、って。今度はあなたのいう神さびた土地に長田を追ってみる。そしてそこにいるであろう川崎姉妹と会ってみたい。波動のなんたるか、なぜ若者二人が殺されねばならなかったか、それを知りたい。それを目標にすれば、少なくともあと暫くは死ぬ必要がないわ」

「なるほど。しかし、目標が達成されたら自死するのか?」

「どうかしら。ただいえるのはなにか次の目標をたてそうな気がするわ。直感というか、予感だけどね」

オレは大きくハイライトを吸い込んだ。

「由美子。いいことを教えてあげよう。直感には従うことだ。直感は過たない。誤るのは判断なんだ。グズグズ考えて裏目を喰らうのが一番腹立たしい。直感に従えば、少なくとも精神衛生上は快適だ」
「あら、初めて由美子って呼んでくれたわね」

「ああ、そういえばそうだな。特段、意識して口にしたわけじゃないが…。そういうこともあるさ」

そう。

流れに委ねて無意識に発するのが一番いいんだ。

声が裏返るようなみっともない醜態をさらすこともない。

意識して出たんじゃない。

由美子が自分の底を晒そうとしているんだ。

ならばオレだって由美子に惚れているという感情に沿ってもよかろう。

要するに会話であれ、セックスであれ、つきつめれば他者とのコミュニケーションなんだ。

居心地のいい流れや形に乗っていくことが最良最上のコミュニケートと思うがな。

どう思うかね、諸君。



鼠の目#366(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

ロープ


はっきりとオレの本音でいえば、それからのことは語りたくない。

語りたくはないが、ここまでガマンして付き合ってくれた諸君らへの義理もある。

義理を欠いちゃ、人間オシマイだ。

やむをえない、と観念している。

なるだけ冷静に語るから、まあ、聞いてくれ。

わたしね、と和田さんが切り出してオレを見た。

ん?

どうかしたのか?

とオレはいった。

視線をはずして前を見据え、和田さんが語り始めた。

歩みのペースはまったく変わらない。

「洋子がああなっちゃって、実をいうと、わたし最初に考えたのは自殺だったの。生きていく意味なんてないわ、って。だからさっさと死んでしまえば楽だろうな、って思った…」

オレはウム、と答えただけだ。

仕方がないだろう、自殺を考えてしまうのは。

そんなことはない、まだまだ生きてがんばろう、なんておためごかしはいえんよ。

絶望の果てが自殺というチョイスはありだ。

人間、生きる自由もあるが、始末をする自由だってあるはずだ。

「それでね…昨晩、ロープを鴨居に引っ掛けてみたの。それで輪っかも作ったわ。ああ、ここに首を入れて椅子から飛び降りればOKなのね、って思った。でもね…やめちゃった。なんでかわかる?」

「いや、わからん。まだ自殺を思い立ったことがないんだ」

「そうよね。わたしもあなたの立場だったら、そう答えるしかないわ」

「で、なぜ思いとどまったんだ?」

「苦しそうだったから」

「苦しそう?自殺だから、そりゃ苦しいだろうぜ」

「その通り。そんな思いをして死ななきゃならないことってなんだろう、って思い直したの。洋子も長田に殺られたときは、ほんとに苦しかったと思う。その苦しみを長田に味合わせられるなら、それはそれでよしとするけど、わたしが仮に自殺するなら、まず長田への復讐を済ませてから、と気付いたの。それに苦しみから逃れるためにさらに苦しいことをやらなくちゃいけないというのは、ちょっとヘンじゃないかな、って」

「ふむ。ずいぶん乱暴な気もするが、説得力は感じるな」



鼠の目#365(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

ラブホ


わたしね、と和田さん、いや、和田由美子が切り出した。

本当は由美子、というべきなのだろうが、そう簡単にはいかんよ。

恥ずかしくってたまらんぜ。

深夜の路地裏には闇と明かりが交互にうずくまっている。

オレと、えー、えー、ゆ、ゆ、由美子は肩を並べて歩いている。

くそっ、まるでCXのドラマだな。

もっともテレビはまず見ないから、そういうことらしい、という単なる受け売りだがな。

手持ち無沙汰とはこのことだ。

なにをいってもオレの望む方向になりそうにない。

だって、そうだろう。

オレも和田さん、あ、もういいじゃねぇか、今んところ「和田さん」というほうがピッタリくるんだよ。

えー、だからだな。

今は深夜、だぞ。

しかも相手は深く傷ついた女性だぞ。

酒だって飲んでら。

で、さらに、オレ自身が惚れてるということを意識しているんだ。

それが身体を寄せ合うように歩いている。

オレだってそこまで石部金吉、唐変木じゃねぇ。

粋じゃねぇかもしれんが、空気ぐらい読めらぁ。

今のシチュエーションは極めてマズイことになってんだよ。

オレのコラエ性が腰砕けになりそうなんだ。

コラエ性だけがオレの矜持なんだ。

一線を踏み外しちゃイカン、ってな。

有体にいや、今日日のガキじゃあるまいし、ホイホイホイホイ、女と同衾したいなんて思うんじゃねぇ、ってこった。

恥ずかしみや慎みをなくしちゃ、常識ある大人といえるわけねぇじゃんかよ。

おっといけねぇ。

和田さんが、わたしね、と切り出したあとのことだったな。



鼠の目#364(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

野獣


「満月は人の心をおかしくするそうだ。今夜のオレはおかしいのかもしれん」

下手な言い訳だぜ。

どうしようもねぇな、とオレは情けなくなった。

「だから…、そうだな。あー、いい。わかった。そうすることにする。和田さんのお願いなんだ、聞かないわけにいかない」

「まだ和田さん、になってるわよ」

「あ、そう、だから、えーと、ゆ、ゆ…。えー、次はしっかりというからな。それで勘弁してくれ」

オレは舌がつった。

だらしがない、とはこのことだな。

いいかね、諸君。

オレの名誉のためにいっておくが、人には向き不向きがあるんだ。

オレは屁理屈には強いが、色恋沙汰はてんでなっちゃない。

面倒になってしまうんだ。

恥ずかしい、という気分が先行して、自分の感情を言葉に表せない。

そもそも恋愛感情とは不合理にできている。

人を好きになることに理由なんてない。

それはわかるよな。

例えば、だ。

美女と野獣なんてな下世話でわかりやすいだろう。

蓼喰う虫も好き好き、でもいい。

割れ鍋に綴じ蓋、なんてのもある。

それはオレも重々承知している。

しかしな、この不合理さに自分を委ねてしまうことに、オレの目線の軸がフィットしない。

理に働く自分でありたい、という強い思いがあるのだ。

平たくいや、こういうことだ。

しどろもどろになるようなことは避けたい。

こういうことだ。



鼠の目#363(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

路地


「できることか、それは?」

「ごくごく簡単なこと」

「なんだろうか」

「和田さん、という距離感のあるいいかたはやめて欲しいの。あなたはそんなことはない、と仰るかもしれないけれど、疎外感を感じてしまうの」

「疎外感?そんなことは…」

「そう。わたしがオミットされているとまでは思わないけれど、気を使わせているような負い目はあるのよ。わたしには由美子という名前があるわ。由美子、って呼んで欲しい」

「由美子、か。なんだか照れ臭いな」

「なぜ?サン付けで呼ばれているのはわたしだけ。少なくとも今回の一件では、わたしはケンスケさんなどと同じ、ユニットの一員だと思ってる」

「まあ、確かにそうなんだが。どうもね。肉親くらいしか下の名前で呼んだことがないんだ。その肉親、係累にしてもほとんどいないしな。慣れてないんだ。それに…」

「それに、なに?」

えー、つまり、なんだ、そのー、とオレはしどろもどろになってきた。

「あー、はっきりいうとだな、和田さんを由美子と呼ぶと、一気にオレのコラエ性が崩れそうな予感がある」

「コラエ性が崩れるってどういうこと?」

簡単さ、オレが和田さんを、いや由美子を愛しているということが、否が応でも意識せざるをえないじゃないか…といいたかった。

愛してるだの、好きだの、そういう面倒に関わりたくないんだ、だからオレは和田さん、と呼ぶんだ。

あなたのいうとおり、距離感を保つためにね…といたかった。

そのことを拳拳服膺するための呼び方なんだ…といいたかった。

オレの本質はウェットで女々しい性質なんだ…といいたかった。


鼠の目#362(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

満月


オレに続いて和田さんも立ち上がった。

「明日から暫く覗けないかもしれんが、悪く思うな。仕事でね」

「あら、お気遣いいたみいります。いいわよ、そんなこと。バカ金を落としてくれるいいお客さんだけど、この店を贔屓にしていただけるお客さんもまだまだいらっしゃるんだから」

マリーがウィンクした。

ウィンクなんざ何年ぶりだ?

久しく見たことがないぜ。

じゃ、な、とオレは小さく手をあげて、踵を返そうとした。

すると、マリーが和田さんにサムアップをした。

なんだ?

なんかいいことでもあるのか?

チェッ、これだからオカマはわからねぇ。

ちゃんと送るのよ、とオレの背中にダメ出しが当たった。

「わかってるよ。いちいちうるせぇんだよ」

と捨て台詞を残し、オレと和田さんはドアの外に出た。

明日の快晴を約束するような月が出ていた。

どうにもこそばゆい情景だぜ。

安手の日活映画じゃあるまいし、勘弁してくれよ。

まあ、和田さんと一緒にいることは決して不満ではないのだがね。

「さて、と。タクシーでも拾うかね」

「不眠症のあなたは、まだ眠くないんでしょ」

「ああ、そう。まだハルシオンを服んでないしね。いつものことさ。熟睡なんて、中学生の頃以来、忘れた」

「よければ歩かない?」

「いいよ。和田さんさえよければ。でも店では疲れているように見えたが、大丈夫なのか」

「大丈夫。で、ね。お願いがあるんだけど」

和田さんがオレの正面にまわって立ち止まった。


鼠の目#361(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

マク


じゃ、旦那、頼むぜ、と言い残すと、ケンスケは軽い足取りで消えていった。

不思議なことだが、オレもマリーもケンスケのネグラを知らない。

携帯電話の前はポケベル、その前は電話、それも留守番電話でしか連絡をとったことがない。

ただいえるのは当時の電話番号だと、そう遠くないところだろうという推測がたつ程度だ。

もっとも十年以上前の話だから、転居していればますますわからない。

それで特段、不便は感じていないから、それでいいといえばいいのかもしれん。

マクルーハンの「メディアはパーソナル化する」という予言は見事に当たった、ってこったな。

オレは仕上げのアイラモルトを流し込むと、カウンターに手をあてて立ち上がった。

どっこいしょ…。

あー、年齢は誤魔化せない。

ワンアクションの度に掛け声が必要になっちまってる。

ことさらにそのことを和田さんもマリーもいわないが、自分自身に無意識に掛け声をかけている姿を、オレは情けないとは思っていない。

仕方ないさ。

気力を補う腰高な体力など望むべくもない。

なにもかにもが枯渇しはじめている。

動くのは辛うじて口先ぐらいなもんさ。

しかしな、笑っているオマエも二十年後には二十歳、歳をとるんだぜ。

そのことを忘れてもらっちゃ困る。

腰高な体力でしのげるのも、そう長くはない。

まあ、リアルにゃ感じられないだろう。

オレもそうだったからな。

陰毛に一本、白いのが混じったら、否が応でも感じさせられるぜ。

それからは幾何級数的だな。

せいぜい笑っとけや。

二十年後、オレのいってることと一言一句ちがわない言葉をオマエもはいてるよ。

間違いなくな。



鼠の目#360(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田さん=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。こすからい古参下士官

イメージ


山下刑事が去ったあとの空間が、妙に索漠感を匂わせていた。

オレ、ケンスケ、オカマのマリー、和田さんの四人で座っている。

時間も深更に入ってきた。

「じゃ、そろそろお開きとしようか」

ケンスケがボソッといった。

「その前に。明日、いや、もう今日ね。どうするの?」

和田さんが問うてきた。

「ああ、そうだったな。それだけは決めておこう。えー、こうしよう。昼過ぎにここを出よう。ケンスケと和田さんはオレの事務所に適当に来てくれ。昼飯を済ませてな。どうせ川崎姉妹のいる神さびた地には、しばらくいることになるだろう。念のため、簡単な携行食とミネラルウォーターくらいは用意しておく。足はオレのへっぽこカローラだ。ケンスケ。運転を頼む」

ケンスケは軽く頷いた。

続けて手元にある烏龍茶をグイッと飲み干し、指で唇を拭った。

「あと、着替えやなんかもいるだろうな。少し用意しとくといいと思う。こんなところだが、いいか」

左右のケンスケと和田さんに視線を送った。

二人は軽く顎を引いた。

「よし、それじゃ開こう。明日、いやもう今日だな、よろしく頼むぜ」

「じゃ、わたしも店を閉めよう。ちょうどキリがいいわ」

オカマのマリーがカウンターを拭きながらいった。

「ああ、それから。あなたがちゃんと和田さんを送っていくのよ。夜道は物騒なんだから」

オレに向けて、マリーのお節介な言葉が続いた。

「え?オレがかい?よせやい、照れ臭くっていけねぇや」

「馬鹿なこといってないで、オカマの忠告もたまには聞きなさいよ」

「マリーにゃいつも意見されてるぜ。オレは素直なもんだ」

「じゃ、今晩も素直になることね」

チェッ、かなわねぇや。

オカマにゃ。