2008年07月

鼠の目#416(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

ビタメジン

説教ついでで、続ける。

あー、つまりだな、科学や技術に人間の知恵が乗り越えられ、知恵が不安を抱き始めた、と書いた。

これは論拠といえるものはない。

オレの推測、想像だ。

まあ、とにかく、だ。

乗り越えられた知恵は不安で仕方がない。

そこで知恵はどうしたか。

こうしたんだ。

西洋的合理主義が行き詰った結果が、このような不安なら、逆に東洋的精神主義が不安を解消する方途ではないか、と旋回し始めたんだ。

確かに東洋的哲理は不安を解消するように働く。

科学で説明できないことも、空であるとか道であるとか、あるいは気であるとか、およそ合理的説明が不可能な言葉で敷衍することができる。

いってみれば光の媒質としてエーテルを予想したことと変わらない。

気という言葉がいかに融通無碍、変幻自在であるか、日常の言葉として考えてもいい。

例えば、気合でいけ、病は気から、それもこれも決して合理的ではない。

しかし、それらは精神世界にとどまって敷衍されるなら、あながち荒唐無稽ともいえぬ。

気合は第2次大戦のときの日本兵の勇気を想起すればいい。

あるいは甲子園球児のガッツをみればいい。

さらに。

病んではいるが、篤実な信仰者が、健常者となんら変わらぬ高い精神性を保持しつつ、闘病に励んでいる。

すなわち、精神世界にとどまり、閉じている限り、東洋的哲理は人間の本質を突いている可能性が高いのだ。

ところがしかし。

西洋的合理主義の不安を東洋的精神主義の高邁な言葉で説明しようとしだした。

気が足りないがゆえ、細胞が活性化しないのです、と。

前段の「気」が、後段の「活性化」といかなる関係があるのか。

気が足りなければ、元気を出せ、といえばいい。

活性化させるならビタミン剤でも服用すればいい。

そうであるはずだ。

ところが。

不安な位置にある知恵はビタミン剤の代わりに気を注入しなければならない、という方向に傾いてしまったのだ。



鼠の目#415(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

原爆

人は科学と技術が自らの容量を超えたことを、論理的に知ったのではないと思っている。

これから先のことは、オレが想像に想像を重ねた個人的見解であることをまず、断っておく。

人間が科学と技術に乗り越えられたことに対し、人は不安を感じた。

西洋キリスト教的合理主義がいきついた先には、キリストさえ人が制御下に置こうとする状態が出来した。

神は死んだのではなく、神さえも化学は統御できる、という姿勢だ。

試験管の中で胚胎する人の生命。

それを針でつつき、刺激を与えてもてあそぶこと。

子宮内にある胎児のDNAを分析し、選択的に生命を生殺与奪する。

これらはすべて事故でもなければ、事件でもない。

あくまでもっとも倫理に厳しかるべき医学の意思として行われるのだ。

絶対に間違っている、とオレは確信している。

宇宙を統べる意思、すなわちそれが神とすれば、神のみの専決事項を人間が弄んでいるとしか思えない。

まだ、ある。

老病苦死は人間が避けえぬもののはずだ。

とりわけ老いることと、死ぬことはいかな人間とて避けえない。

仙老や不老不死、賢者の石を古来より人間は求めた。

しかし、笑い話として語られたことが、いまやスケジュールに登りそうな勢いだ。

老いぬこと、死なぬこと、そのことが商売としてなりたち、莫大な金を支払える者のみが、それを享受する。

生命が金と交換可能なのだ。

死ぬことは悲劇であろう。

また老いることもつらい。

しかし、それが不易の事実であり、その生命の循環によってのみ生命が輝く、その金甌無欠の事実が曲げられようとしている。

なあに、金で命と若さを買えばいいのだ、と。

狂っている、とオレは思う。

いってみれば、これらすべて西洋的合理主義が生み出した反省なき科学万能主義の破綻ではないか、とオレは睨んでいる。

でなければ、ヒロシマ・ナガサキに落とされた原爆に対し、反省があるはずだ。

ところが実際は…いうまでもなかろう。



鼠の目#414(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

スパコン

オレはこう思ってる。

科学が歴史を超えてしまったんだ、と。

半可通な言葉ですまん。

が、しかし、これまでの科学技術とは人智の制御内であったと思っている。

手に触れば感触としてわかり、それがなにを目指して拵えられ、どう手入れすればいいか、人間の程に合わせて存在した。

エラソウな哲学用語を使えば、クラリアともいえる。

クラリアは人類の持つ常識や理性、あるいは倫理を踏み外すことがない、そういう人類共通の暗黙的了解の上に成り立っていた。

たとえば、電話は有線を流れる電気信号であり、飛行機は流体力学的揚力により浮き上がる。

あるいは大砲は巨大であればあれほどその図体と破壊力が増し、流線型の車は早そうだ、と直感できた。

ところが、どうだ。

目前のPCという箱からは、ありとあらゆる情報、それもクソのような情報から、猥褻動画、果ては個人情報からペンタゴンの情報まで引き出すことができる。

ごくわずかな専門家を除いて、だれもその仕掛けがわからない。

兵器は質量と光速度の平方積に比例する熱と力を持つにいたった。

手中の携帯電話から世界中に個人へ画像込みで会話できる。

自動車エンジンが故障したらアッセンブリーごと交換しないと、職人の手に負えない。

食料は抗生物質と遺伝子組み換えで作られ、人間の生命誕生すら制御下に置こうとしている。

オレはこのことの是非をいうつもりはない。

そうなっちまったものは、そうなっちまったんだ。

人間が選択した結果にほかならないじゃないか。

しかし、だ。

これだけはいえると思うんだ。

機械と技術が人間の倫理を超えた、と。

制御されるべき科学と技術が自己肥大に肥大を重ね、人間の手に余り始めたんじゃないか、と。

これまでは科学と技術は人類の叡智の結晶であり、その忠実な僕だった。

ところが今、主従は完全に逆転した。

人類の叡智は右往左往している。

なにかとんでもない間違いを犯しているのじゃないか、叡智が不安を抱き始めている。



鼠の目#413(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

渋滞

とりあえずカロリーは補給した。

トイレで排尿と歯磨きを順にすませ、再度、カローラを発信させた。

これからは一般道、3桁国道を淡々と走り、大きく山塊を迂回して林道から回りこむように接近することになる。

センターラインの引かれた国道も、山塊の南側に入ると、徐々に荒れた道路になってくる。

時々、公共事業対策なのだろう、突如、というかんじで立派な2車線になるが、それもごく短い。

すぐにアスファルトが継ぎ接ぎの路面になる。

民家もごくまばらになる。

道端で所在なげな猫が大あくびをしている。

右手にはかぼそい流れの渓流が走っている。

おおかた大半の水量が上流のダムで堰き止められているに違いない。

斜面はほとんど杉や檜の人工林が暗い色をたたえていた。

どこにでもある風景、といえば確かにそうだ。

緑のまったく感じられない朝鮮半島や中国の山々と違い、ホッと感じさせる。

しかし、この森が落葉広葉樹で満たされ、清流が滔々と流れていれば、いかほど豊かな気持ちになれるであろうか。

どこかに経済原則のみが支配してきたこの国の、いや、地球の形の歪みを感じずにはいられない。

初老のルサンチマンと笑ってくれていい。

経済とは自然の代謝を利用するものだ、という原則でいえば、人間はあまりに代謝の上限を超えすぎたとも思っている。

この車でさえそうだ。

いまさら、人は車を手放すわけがない。

また車社会が支える今の経済流通システムを破壊するわけがない。

高速に、かつ快適に。

一人一人の幸福や利便、それを追求した結果がこれだ。

オレはそれをよくない、なんていわんよ。

誰だって人より快適に、昨日より安逸になりたいのだ。

それが科学や文明のアクセレータだったのだ。

温暖化が、自然破壊が、といって車を生産停止させるわけがない。

深夜コンビニがなくなるわけがない。

農薬使用をやめて単位収量を下げるわけがない。

なぜか。

人間は安易に暮らしたいんだ。

それが業なんだ。

ただいえるのは。

科学や文明を人間がコントロールするはずが、今はコントロールされ、折り合いがつかなくなっているんだ。



鼠の目#412(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

ファミレス

早めに出たこともあり、オレを含め、みな昼飯を食っていなかった。

高速を降り、カローラを手近なファミレスに入れ、遅めの昼飯をとった。

オレはビールを飲んだが、ほかは誰も飲まない。

ケンスケは運転だから仕方ないとはいえ、マリーも口にしなかった。

「喉が渇くだろ。水でいいのか?」

半分ほどビールを明けて、マリーに尋ねた。

「ああ。演習の前に酒を飲んだことはない」

皮肉でも非難でもなく、淡々とマリーが答えた。

「どうせ、向こうじゃ冷えたビールなんてない。今のうち愉しんでおくのも悪くない」

水を含んだ後、マリーが付け加えた。

いかにもセントラルキッチンで冷凍したものを暖めなおしただけです、という料理が運ばれてきた。

食ってみてそれはすぐにわかった。

外側は暖かくても、中が冷たいままなのだ。

脂くさく、ベッチョリとしつこい。

オレは箸を放り出しそうになった。

「だめだ。全部食え。レーションと思うんだ」

ケンスケが諭すようにいった。

「今、食っとかないと、次はいつになるかわからん。和田さんもとにかく飲み込め。見ろ、マリーは黙々とくっているだろうが。それがプロフェショナルの段取りなんだ」

有無をいわせぬ、厳しい口調に変わった。

まるでこれから掃討戦に向かう兵士のようだ。

しかし、そのKという神さびた土地では、どの程度か予想はつかぬが、必ずなにかが起こるはずだった。

死や流血ということが現実味を帯びているのだ。

ケンスケの言葉に促されるように、みな、押し黙ったまま箸やスプーンを進めた。

どうにもひどい味だが、オレはビールの力を借りて、流し込んでいった。

こういうときこそ、ビールは有難い。

なにしろ日本のビールはなんでもうまい。

しかも地域差もない。

安心して飲めるじゃないか。

オレはビールに感謝し、すまないが、とみなに断って、もう一本ビールを頼んだ。



鼠の目#411(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

森

森は獰猛なほどに広葉樹が繁茂している。

一歩中へ入ると、夜明け前の僅かな光はまったく届かない。

長田みずからの夜目だけが頼りだ。

錯節した根や枝に何度も遮られながらも、長田は男の襟首を掴んだまま、強引にヤブをこいでいった。

ライフルとバックパック、それと死体の重さに息があがり、ゼイゼイと肺がなりだすと、長田はそこで止まった。

なにがなんでも死体を隠さなければならないことはないのだ。

どうせ夜明けとともに、なにかとんでもないことが始まる。

暫くの間、この死体が発見されなければいい。

闇もずいぶん明るくなってきている。

ライフルとバックパックを地面に置くと、足元のわずかな窪みに男の死体を蹴りこんだ。

サバイバルナイフの突き立ったシャツの胸あたりは、血で染まっていた。

男の目が恨めしげに開かれていた。

長田はその目に向かい、唾を吐きかけた。

死者を冒涜するえげつない快感だ。

さらに手近な枯れ枝や落ち葉をかき集め、死体をカモフラージュする。

まあ、いいだろう、こんなもんで。

こちらから見ても、波動のキャンプはまったく視認できない。

それなりの距離を運んできたのだろう。

うまい具合に、死体を引き摺った後もハッキリしない。

なにもかも好都合だ。

長田は蓬髪を掻いた。

バックパックからミネラルウォーターを取り出し、一気に半分ほどを飲んだ。

それまでの異様な喉の渇きがとまった。

さらにチョコレートバーのパッケージを破り捨てた。

うまいもんではないが、腹の足しにはなる。

立て続けに二本、腹に収め、残りのミネラルウォーターを流し込んだ。

ペットボトルはバックパックに戻した。

どこかの湧き水で補給せねばならぬだろう。

波動のキャンプに戻る気はない。

暫くは高みの見物だ。

それから、いずれ折をみて、川崎真理子と話をしなきゃならん。

拒否したら?

強引に犯してでも話をするさ。

オレを舐めるヤツは赦さねぇんだよ。

長田の顔が凄惨に歪んだ。



鼠の目#410(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

ナイフ

闇に目を凝らし、長田はそろそろと川崎姉妹のいる神域へ向かった。

ヒモロギで結界を囲繞した無垢の杉材が白く浮かび上がっている。

その切れ間、出入り口のところに、あの男がいた。

川崎真理子を訪ねたとき、オレに舐めた口をきき、あまつさえオレを張り飛ばした野郎だ。

男は連日の緊張のせいか、杉材にもたれかかり、座り込んだまま寝ている。

コイツとケンスケだけは赦さねぇ、長田は怒りを反芻し始めた。

腰に佩いたサバイバルナイフを手にし、さらに足音を消してその男に近づく。

男はまったく気付いていない。

闇の底が少しづつ明るさを回復している。

急がねば、と長田は思った。

男の前に長田は仁王立ちになり、見下ろした。

サバイバルナイフの切っ先を男の左胸に当てる。

その瞬間、男は目を覚ました。

ぼんやりと開けられた目が、今の状況を徐々に察知したようだ。

カッと男の目が開かれ、何かをいおうとした。

刹那、長田はサバイバルナイフに全体重と膂力をこめ、男の胸を刺し貫いた。

男は一言も発することなく、崩れ落ちた。

弾かれるように長田は立ち上がり、男の襟首を掴んだ。

そのまま引き摺り、出入り口と反対方向の森へ向かった。

サバイバルナイフは突き立てたままだ。

刃渡りのほとんどが、男の左胸に入っている。

ここでサバイバルナイフを引き抜こうものなら、一気に大量出血してしまう。

血溜まりを残すような真似はしたくない。

しかし、男の左胸は血で染まりつつある。

血の染みは暗さに当面は紛れるだろうが、発見されないにこしたことはない。

長田はありったけの力をこめて、男の死体を森の中へ引っ張り込んでいく。



鼠の目#409(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

ランタン

夜の闇の底に、少しだけ光の胎動が見え始める頃、長田は目を覚ました。

乾電池式の明かりが、わずかにテント内を照らしている。

周りのコットには若い波動のメンバーが熟睡していた。

音を立てぬよう、静かに長田は身を起こし、自分のバックパックを手にした。

隣には、ちょうど似通った体型の若者が寝ている。

長田は若者がコットの脇に脱ぎ捨てたブーツとソックスを失敬した。

そろそろと這うようにしてテントの外に出た。

テントから漏れ出るかすかな光を頼りに、ソックスとブーツを履く。

西村が処置してくれたプレートのおかげだろうか、思ったより簡単に履くことができたし、なによりサイズがぴったりだった。

足が軽くなると、気分もいい。

長田はそのまま、武器庫ともいえるテントへ入っていった。

そこも電池式の保安球が頼りない光を放っていた。

カラシニコフと実包が整然と並んでいる。

長田は一番手前に置いてあるカラシニコフと、弾装マガジンを数個取った。

マガジンの一個はカラシニコフに装填し、残りはバックパックに放り込んだ。

さらにライフルのセレクターがセイフティになっていることを確かめた。

テントの隅にペットボトルのミネラルウォーターとチョコレートバーがあった。

ついでにそれらも頂戴し、バックパックに放り込む。

代わりにサバイバルナイフを取り出し、腰に佩いた。

バックパックはそのまま背負う。

同様に、カラシニコフをたすきがけに肩に下げた。

長田はニヤリと笑った。

おう、こりゃ正真正銘の兵士だぜ、それもとびきり上等のな。

オヤジも満州じゃきっとこんな風にキリッとしてたんだろう、とほくそ笑んだ。

さよう、長田の父親は、川崎徳一や滝川順平を徹底していたぶった上島上等兵なのだ。

それが戦後の長い空白のあと、この神さびた土地で邂逅している。

川崎と上島・長田の上下関係は逆転こそすれ、戦争という狂気、カルトという狂気、いずれも常識では推測不可能な空気の中で、である。



鼠の目#408(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

レーション

それは引越し用の段ボールがガムテープで閉じられている。

「なんだ、これ」とオレは問うた。

「ケンスケなら大体察しがつくだろう」

マリーがケンスケに向かっていった。

「レーションだろ、それ」

「ご明察。本来的に自衛隊がレーションを払い下げることなはいのだが、ちょいと昔の仲間に無理をいって譲ってもらった」

「なんだ、レーションって?」

「ああ、簡単にいや、軍用の野戦食料だな。嵩張らず腹が満たせる。いってみりゃ、野外戦闘ってな究極のアウトドアだからな。がちゃがちゃコンロなんぞを持ち歩かなくてもいいようになっている」

「となると、きっとひどいクソのような味がするんだろうな。うまいまずいをオレはあまりいわんが、どうもな…」

「と、思うだろう。確かに昔はひどかった。食事というより、単にカロリー補給だけというシロモンだった。食えたモンじゃなかった。米軍のCレーションなんて、犬だって食わんぜ。ところが今はてんで違う。確かに料理屋で食べるもの較べちゃいかんが、それなりに気が配ってある。特にな、自衛隊のそれは、日本人向けに相当研究してある。五目鶏飯なぞ、特にうまい。ケンスケんとこじゃ、どうだった?」

「フランスだからね。なんとワインも付いていた。これがレーションか、とすら思ったね。もっともイタリア軍なんてな、専用のコックがいて、アルデンテのパスタが出る、と聞いたことがある。いい、悪いは別にしても、それが国民性ってやつかな。しかし、それじゃ、負けるぜ、とも思ったけどね」

「いいじゃない。面白そう。そういうのって興味本位だけど、食べてみたいわ」

由美子が無邪気にいった。

「まあ、いい。トランクに放り込んでりゃいいんだから。どうせ、マリーだって、来るな、といったところで、自分の足ででもくるだろう」

オレは言葉を区切ってマリーを見た。

マリーはさも当然といわんばかりに、頷いた。

「よし。じゃ、全部トランクに放り込め。4人分だ。十分、収納できるだろう」

それぞれにミネラルウォーター、乾燥食品、レーション、バックパックを詰め込む。

ケンスケがキイを握って運転席に滑り込んだ。

オレが助手席、後席にマリーと由美子が座った。

「大きく迂回して山塊の南東から入らなきゃならない。今からだと…5時間、ってとこかな。よーし、じゃ、行こう」

カローラがその薄汚れたボデイを動かし始めた。



鼠の目#407(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

お茶

「しかし、マリー。改めて聞くがその格好から推察すると、まさかオレたちと同道しようってんじゃないだろう」

「いや、そのまさか、だよ。同道するつもりだ」

「なぜ」

「何度もいわせるなよ。行きたいから行く、それ以上でも以下でもない」

「理由は?」

マリーはどうしようもないな、という意味をこめるように、下を向いて頭を振った。

「行きたいから行くんだ。それ以上の意味はない。だから髪も朝一番に切った」

確かに、マリーの頭髪はバッサリ切られている。

坊主頭に近い。

年相応に白いものが混じったごま塩頭だ。

だが、しかし、とオレがいいかかったのをマリーは手で制した。

「ガチャガチャいいっこなしだ。野外を飛び跳ねる訓練は、ケンスケにはかなわないかもしれんが、アンタなんかより、はるかに上だ。なんといっても、オレには実戦経験がない。演習場で実包をブッ放した程度だからな。キワになればケンスケのような動きはとれんかもしれん。しかし、役にはたつぜ」

「役に立つ、とは?」

「おいおい、いまさら空っとぼけるなよ。波動のキャンプに乗り込むんだろ?まさかオマエたちが波動とコトを構えなくても、警察や公安との揉め事に巻き込まれるのは必定だ。それを予想するが故の格好だろ?オマエもケンスケも由美子さんも」

日差しが強烈になってきていた。

マリーはもう一度、ペットボトルの茶を一口飲んだ。

「ケンスケの段ボールはミネラルウォーターだな。それにオマエが持っているのが乾燥食品ってとこだろう。だめだ。そんなんじゃ。オレが用意した。これだ」

マリーが首を倒してカローラの後ろに置いてある段ボール箱を示した。



鼠の目#406(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

演習

驚いた。

ちょっと待てよ、ウソじゃねぇのか?

次の一歩を踏み出したとき、オレは間違いないと確信した。

オレのことに気付いたのだろう、その男はオレの方を振り向き、白い歯を見せて笑った。

確信は誤っていなかった。

「マリー。なんでこんなとこにいるんだ」

オレは素っ頓狂な声をあげた。

「え。マリーさんって…、あら、いやだ、ほんとにマリーさんじゃないの。どうなさったの」

由美子もキツネにつままれたように、目を丸くしている。

「陸上自衛隊・第一混成団・予備役・丸田二等陸曹であります」

敬礼とともに、マリーが決然、いい放った。

そのあと、照れたように耳のあたりをかいた。

「丸田って…マリーの本名か」

「そうだ。丸田の丸をとって、みすぎよすぎの商売にはマリーと名乗っている」

「しかし…なぜ、マリー…いや、丸田陸曹がこんなとこにいるんだよ」

「ああ、そのことはいまケンスケからも聞かれている。どうせ同じことをオマエも聞くだろうと思ってな。何度も同じ説明をするのが面倒でね、アンタや由美子さんが現れるまで待ってたんだ」

マリーは手に持ったペットボトルのお茶を一口含んだ。

「気紛れさ、おおかたね。ここ何日かの店でのハナシ、アンタやケンスケ、由美子さんに山下刑事、そんなハナシを聞いてたら、陸自あがりの血が滾ってきたってことだな、多分。ここ久しく飛んだり跳ねたりしていないんでな、演習の後の爽快感を味わいたいと思ったのさ」

ホントかい、とケンスケがいった。

「ああ、そうさ。ケンスケなら余計にわかるだろ。時に憤怒のようなパトスが迸る瞬間を。理屈じゃないんだな、これは。頭でなく、手と足を使い、背筋力でしのいでいく瞬間瞬間の積み重ね。あー、オレは生きているとおもえるもんなんだ。そうだろ、ケンスケ?」

その問いにケンスケは無言で頷いた。



鼠の目#405(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

フェンス

茶を啜り終わり、片付ける。

倉庫代わりに借りている別室のカギを開け、ミネラルウォーターをワンケース引き出した。

整理が行き届いているのは、由美子のおかげにほかならない。

ミネラルウォーターにしたって、オレが用意したんじゃない。

由美子が、こういう備えは必ずいるものよ、と用意しておいてくれたのだ。

ミネラルウォ-ターの横には、アルファ米や乾燥食品の数々が段ボールに詰めてある。

オレが乾燥食品、ケンスケがミネラルウォーターを事務所の扉の外まで運んだ。

ざっと部屋を見渡す。

特段、見落としはなかろう。

留守電もセットした。

不要な電源も落としてある。

灰皿もきれいに始末した。

いいかな、これで、とオレは由美子とケンスケを見た。

二、三度二人は頷いた。

「よし、じゃあ行くか。ケンスケ、ミネラルウォーターを頼む」

ケンスケはミレーのバックパックを背負い、ミネラルウォーターのケースを軽々と持ち上げると、階下へ降りていった。

オレもグレゴリーのバックパックを背負い、乾燥食品の入った段ボール箱を持ち上げた。

腕が痛かった。

扉のロックを由美子に頼み、階下へ下りる。

駐車場のカローラまで歩きだ。

こういう田舎でもダウンタウンに駐車場を見つけるのは骨が折れる。

カローラも事務所から歩いて五分ほどかかる場所に置いてある。

数十メートル先を歩くケンスケを追って、腕の痛みを我慢しながら歩いた。

直後に、バックパクを背負った由美子が続いた。

駐車場のフェンスをまがり、一番奥のカローラに近づいたときだ。

ケンスケが誰かと話している。

誰だ、あれは。

そのその男はオレたちと同じような服装をしていた。

いわゆるアースカラーのアウトドア系というところか。

帽子はかぶっていない。

シャツの上からのぞく頑丈そうな首の上に乗っかている頭は、短く刈り込まれている。

しかし日焼けしていない、妙な白さがある。

一体、誰だというんだ。

オレは不審な思いを抱きながら、二人に足を近づけた。



鼠の目#404(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

露天

「でも、和田さん。今日はスッピンかい」

「そうなのよ、ケンスケさん。みっともないけど、許してね。山に入るのにいちいち気にしてたんじゃね、ご迷惑になっちゃうでしょ」

「そんなことないよ。和田さんって、昔からほとんど化粧っ気がないしさ、それにもともと輝くような知性が感じられるもん。一段とすっきりしてるよ」

「ありがとう。お世辞でもうれしいわ。じゃあ、お茶でもいれましょうか、まだ時間もあるし」

「お、いいな。和田さんのお茶はうまいんだ。このオッサンのがさつな味とは全然ちがう」

ケンスケの頌辞に由美子ははにかんだ。

「ああ、それは認める。同じ茶葉を使ってもこうも違うのか、と思うな。茶の入れ方にはきっと天才性がいるんだ」

「おやおや、あなたまでどうしたの。今からのことで昂ぶっていらっしゃる、とか?」

「いや、事実を述べたまでだ。とにかくおいしい茶をいただこうじゃないか」

和田由美子が流し場に引き込んだ。

じっくりと淹れる上等な茶葉の豊かな香りが満ちてきた。

これだ。

これだよ。

コーヒーが苦手なオレにはたまらなくいい香りだ。

全身の緊張がほどけるようだ。

由美子が盆に茶を載せて運んできた。

やや大振りな茶碗に淹れてある。

たくさん飲みたい気分なんでしょ、といい添えてテーブルに配した。

若干、小さめの茶碗は由美子用だろう。

それぞれの位置に適当に腰掛け、茶を啜る。

あれは、なぜなのかな、うまい茶を啜ると、必ずフーッと溜息が出る。

温泉に浸かった瞬間に出る「ア、ア、アーッ」というオノマトペと一緒だ。

オレとケンスケは同時にフーッと溜息をついた。

「そうだな、この茶を啜り終えたら、出るとするか。少し早いかもしれんが、全員そろったしな。どうだ、ケンスケ」

「ああ、そうしよう」

由美子も、顎を引いて、賛意を示した。



鼠の目#403(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

シューズ

あー、なんだかとりとめがなくなったな。

しかし、このへん、諸君も理解できるだろ?

果てしなくダラシがなくなってしまった日本人、そしてだらしのなさを是とする、文化。

それがおかしいといいつつも、だらしのなさを矯正するためにカルトに走り、殺人さえ辞さないという風潮。

どれもこれもなにか極めて重大なこと、それは日本人に限らず、人類が持ちえた叡智や、社会、他人に対しての真摯な態度、とにかく一切合財ふくめて、コアたる矩をないがしろにしているとしか思えない。

それはなぜか、というとだな、オレにも若干の考えがある…。

そのことを書こうとしたときだ、おはよう、という爽やかな声とともに、和田由美子が現れた。

いかん。

先を進めるぜ。

オレの考えはいずれ書く。

しばらく待っててくれや。

由美子もオレと同じく、登山用のウェアで固めている。

厚手のチェックのウールのシャツ、ポリ混の丈夫そうなパンツ、ハイカットの軽トレッキングシューズだ。

手にゼロポイントのバックパックを持っている。

「ああ、おはよう」

自分の挨拶に微妙な揺れを感じた。

セックスのあと、放ちっぱなしでグースカ寝込んでしまった自分をオレは恥じている。

その心の揺れが反映されているのだろう。

ケンスケも気付いたかもしれん。

和田由美子の顔はこれ以上ないくらい爽やかに見えた。

化粧っ気はまるでない。

ルージュすら引いていない。

「あら、ケンスケさん、もういらしてたの」

「うん。ぼくは遅れるのが嫌いでね。五分遅れるより、一時間早いほうがいい、という習い性なんだ。外人部隊で徹底的に仕込まれた。それに梅昆布茶も飲みたかった」

「あら、そう。いい心がけだわ。約束におくれるなんて、アクシデントなら別だけど、いい大人のすることじゃないわよね」

その通りだ。

オレもそう思う。



鼠の目#402(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

本会議


この国の政治はダメだと声高に悲憤慷慨するやつがいる。

確かに決して秀れた体制であるとはオレも思っちゃいない。

しかしだぜ、悲憤慷慨するやつに限って、この国の政治に期待しない、という。

期待しないなら、悲憤慷慨なんてやめろ。

ここはいい国だと思うところに移民なりすればいいだけだ。

あれも悪い、これもダメだ、それにいたっては論外だ、という。

じゃあ、聞くがな、それを選択したのはだれだ?

補助金と利権を手放したくないために、そのまま継承し、うまい汁にありつく連中を応援し、国政に参加させたのは誰だ?

オレを含めた、オマエだ、彼だ、つまり日本人じゃねぇか。

うまい汁のおこぼれにあずかろうとセコイ乞食根性を押し隠しつつ、したり顔で立候補者を応援し、選挙権を行使したのは誰だ。

それを棚に上げ、自らは無謬であり、悪いのは政治家であり、ゆえに政治には期待せず、選挙権を行使しても何も変わらない、と高みから見下すような言い草はなんだ。

フザケルナ、といいたね。

イヤだったら行動してみろ。

行動が面倒なら、はっきりノーの選挙権を行使したらどうだ。

それでも思うような政体にならんかもしれん。

でもな、それがこの国の民度とあきらめろよ。

それがルールだ。

少なくとも民主主義ということを選択した以上、ルールはルールだ。

それを了解した上で、悲憤慷慨するんだな。

まったく民主主義はクソだな、といえよ。

それならわかる。

でなけりゃ、きちんと権利と義務を行使しろ。

まったく「政治に期待しません」とヌケヌケとほざき倒すことが、ちょっとかっこいい大人の姿勢、ぐらいの発想なんだったら、やめとくんだな。

すぐにオサトが知れる。

いってるそばから「実はなにも考えていないバカなんです」ってのがバレバレだ。

薄汚くしか見えない、ということに気付けよ…といっても、気付かないからバカとしかいえんかもしれん。



鼠の目#401(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

給食


オレは黴臭い倫理観でできているのかもしれん。

なにか極めて重大なことが、人の中からスッポリ抜け落ちてしまっていると思えてならない。

自分自身は無謬である、と慎みを忘れ、自我が極限まで肥大化しているんじゃないか。

個性重視、とかいう耳あたりのいい言葉の下にな。

個性重視もよかろう。

ただし、前提は必ずある。

個性を支える常識や品性を磨いた上で、と但し書きが欠落しているんだ。

おのが欲求を野放図に満たすことが個性重視、なのか?

バカなことをいうな。

欲しいもの、やりたいことは必ず手に入れる、やる、手段・方法は問わない、これが今の個性重視だ。

おかしいだろうが、こんなこと。

それは若造だけじゃない。

いい歳をした年齢的に大人と呼べる年代ですらそうだ。

要するに果てしなく知的レベルが下がっている。

品性、常識が崩壊している。

社会全体が幼稚を是とし、それをむしろ慫慂しているのだ。

幼稚イコール無垢純真というバカな通念が跳梁跋扈しているのだ。

卑近な例をあげよう。

ガキの給食費を払わねぇバカ親がいる。

生活困窮とか、ふむ、さもありなん、という理由じゃない。

給食を出してくれ、と頼んだ覚えはない、と。

そうか。

じゃあ、ガキに弁当持たせろ。

一切、給食には手をつけるな。

コンビニ弁当でも、カップラーメンでもいい。

カップ麺ならお湯くらい出してやる。

のうのうと食っておきながら、頼んだ覚えはないだと?

はっきりいうが、それは食い逃げという。




鼠の目#400(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

宮崎


さ、それじゃなぜ長田が連続殺人に走ったか。

簡単さ。

それが長田なんだ。

単に人を殺したい。

それだけなんだと思う。

根っからの犯罪者なのさ、長田はね。

誰でもよかったんだ、長田にとっては。

目前にある障害物を排除する、それだけさ。

宮崎一平でなくてもいい。

和田洋子でなくてもいい。

手を下すことにのみ興奮を感じるんだろう。

あるいは波動がもつ武装への衝動が、長田の性癖を加速したともいえるだろうがな。






「ふーん、それじゃオレは単に利用されていたいただけ、ってことか」

顎をなでながら、オレは呟いた。

「利用というより、目撃者に仕立て上げられたんだな、アンタは」

ケンスケは面白くなさそうに答えた。

オレは釈然としない。

確かにケンスケのいうことは、ある意味、正鵠を射抜いているだろう。

しかしすべてがすべて、まん真ん中の肯綮にあたっているかどうか、オレには少し疑問だ。

オレはこう思っている。

波動は波動だ。

カルトだ。

はっきりいえば、連中は狂っている。

常識以前、無論、長田も含め単に暴発したいだけなんだ。

簡単にいえば、宮崎勤や宅間守の組織的集団じゃねぇのか。

だれでもいい。

なんでもいい。

破壊し、殺し、暴発する。

自らの存在証明のために。

祭祀や歴史だと?

ふん、笑わせるんじゃねぇ。

そんなもん、あとから取ってつけた屁理屈だ。

いま、この社会で満たされぬ鬱懐、普通なら、それとどうにかこうにか折り合いをつけるのだろうが、波動の連中にはそれができない。

いや、鬱憤晴らしをしたいだけさ。

そのあとは、どうなっても構わない、そんな発想なんだろう。



鼠の目#399(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

タウンページ


この暴発を第三者的視点で眺める目撃者が必要、そう川崎姉妹は考えた。

なぜか。

結末は破滅しか想像しえない、と判断したのだろう。

その破滅への道、事実経過を波動外に発言できる目撃者があってこそ、波動の目論見、存在意義が継承されるはずだ、と踏んだんじゃないか。

波動は東アジアの祭祀統合という崇高な理念に殉じました、と思われなきゃいけない、伝わらなければいけないんだ。

そしてその冷徹な事実を受容し、さらに止揚し、川崎一族の意志を継ぐ者を待つ。

いつか血が、DNAが、環日本海文化が亭々と聳え立つ構想が消えることはない。

またそうしなけりゃ祖父・川崎徳一に申し訳がたたない、そんな下世話な欲望もあったかもしれん。

目撃者は普通の人間でないほうがいい。

警察やヤクザモンは論外として、武器や殺人のからむ話だ。

少なくとも、そういう事態が出来しても、対応できる人間でないと目撃者足り得ない。

そこで選ばれたのがアンタ、鼠の旦那だよ。

選ばれた基準は、そうだな、タウンページでめくったら、たまたま最初に飛び込んできた名前がアンタだった、その程度だろう。

あるいは川崎姉妹に独特な勘があったのかもしれん。

しかしいずれにせよ普通で考えれば論外な話だ。

しかし論外であるがゆえ、カルトであるともいえる。

同時進行的に波動の武装化があったのだろう。

いまいったような背景で、どのような経過を経て武装化路線がとられたかはわからん。

わからんが、文龍名と川崎姉妹による専断だろう。

議論などカルトには必要でないからな。



鼠の目#398(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

ロシア革命


さて、これから先が想像の上に想像を載せた話だ。

今日の朝刊の記事にもあるとおり、波動は一定の力を得た。

しかし、世間で言われる波動はインチキ疑似科学であり、呪術であり、カルトでしかない。

まっとうな精神世界のものとは認知されないのだ。

川崎一派は焦った。

時間と心中してしまった。

東アジア祭祀の統合のために、地道な組織的活動を放棄し、組織戦略として一気呵成の道を選んだ。

つまり、キャンプを作り、武装蜂起をチョイスした。

銃口による撹乱。

左翼的発言をすれば前衛党を維持するのではなく、赤色テロルの道をチョイスした。

革マル派と赤軍派、あるいは創価学会とオウム真理教の喩えがわかりやすいかもしれない。

その決定が誰によるものか、そいつはわからない。

しかし、重要なのは、川崎姉妹がその蜂起に保険をかけようとしたことだ。

その保険とはアンタのことだよ、とケンスケがいった。

「オレ?オレが保険ってなんのことだ」

「わかっているんだよ、彼女たちは。いかに無謀なことをしようとしているか、が」

ケンスケはソファに座りなおし、続けた。

そもそも、この平和ボケ日本で、ライフルを乱射してなんになる。

これだからキチガイに刃物なんだ、と非難轟々になるのが関の山だ。

だったらやらなきゃいいじゃないか、とか聞いたふうなことをいうんじゃねぇぞ。

波動に計算できる人間がいても、大勢はリアリティをもって計算できない連中ばかりなのさ。

長田がいい例だ。

ああいった粗暴そのものが、のうのうと組織の一角を担いうる、そのこと自体をもってして考えてみればいい。

その体質がすべてに反映されているんだ。

もっともリアリストたるべき文龍名ですら、夜郎自大な跳ね上がり志向が蔓延しているんだ。



鼠の目#397(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

DNA.jpg


川崎真知子がなぜ妹・真理子の奪還を依頼したのか。

またそれをオレに依頼したのはなぜか。

こう考えると理屈が立つように思える。

そもそも川崎徳一を濫觴とし、真知子・真理子に連なる東アジア祭祀の統合という野望があった。

それは古代東アジアの民草に、日本海を中心とする環日本海文化ともいうべき交流があったはずだ、という思い込みに端を発している。

であるなら、今ある各国の祭祀も、その源を辿れば、必ず一つの本質にたどり着くであろう、と川崎一族は発想した。

その祭祀の源こそ、東アジア人民に受け継がれるDNAとも呼ぶべきものだ。

そのDNAを呼び起こせば、東アジアは西洋のキリスト教的合理主義支配から脱却でき、圧倒的な精神の楽土が建設可能であろう。

ならば、その祭祀を司る血を作り出さねばならない。

ために、川崎徳一は古朝鮮王族の末裔を、さらに廃宮家の血脈を川崎家に合流させ、川崎姉妹という一応の完成形をみた。

つまり祭司、すなわち教祖は誕生したのである。

次の段階は祭祀を組織化することだ。

有体にいえば宗教法人化することで組織を作り、文字化することで教義を打ち立てることだ。

川崎徳一の遺言がどのような形で徳永高男や文龍名に引き継がれたか、それは判然としない。

しかし、間違いなく今の波動という組織に反映されているに違いない。

さらに付け加えるなら、川崎一派は「東アジアに一貫して流れる祭祀の本質は波動という名で認識される」と踏んだのだろう。

文龍名らの働きにより、波動は次第に組織としての体をなし、徐々に勢力を広げていった。

ただし、文龍名も徳永高男も非合法闇社会からの転入だ。

組織の拡大に伴う軋轢や、強引な勢力伸張を支えたのは、彼らの経歴と腕力である。

無論、組織の維持発展には人もモノも金もいる。

人には宮崎一平という無垢な青年もいれば、長田のようなゴロツキもいる。

またヤミで秘匿したカラシニコフもある。

さらにインチキ科学で信者から巻き上げた金もある。

目的はただ一つ。

東アジアの祭祀を統合するということ。

その成就のために、川崎一派、すなわち波動は武装も詐欺も人殺しも厭わなかった。

一体、誰がなにを担うか、そんなことは埒外の話だった。



鼠の目#396(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親



「なぜだろう、とオレは考えた。いまさら川崎真理子奪還はない。すでにアンタは報酬も手にしている。まさか川崎真知子が返してくれ、なんていうわけがない。いや、依頼したことすら忘れているだろう。じゃあ、なぜ川崎真理子がアンタに川崎真理子の奪還を頼んだのか」

そこまでいうと、ケンスケは空になった梅昆布茶の底を啜った。

「こうは、考えられないだろうか。川崎一族、ひいては波動をもって行われることのプロバガンダの尖兵にアンタが選ばれた、と」

「オレが?プロバガンダ?ピンとこねぇがな」

「本来のプロバガンダなら、合法的にはPR会社を使うなり、カンパニア活動であったり、あるいはネットで、ということもあるだろう。しかし、波動本来にある胡散臭さが、アンタに向かわせた、ということじゃないのか。要するに誰でもよかった。波動として、これから起こすことの同時目撃者を拵えておきたかった。そう考えると、かなりスッキリしてくる」

なんだ?

どういうことだ?

一体に、ケンスケという男、無愛想を絵に描いたような男だが、判断は極めて明晰だ。

ただ、意を尽くすのが面倒なんだろう、言葉を端折るくせがある。

こんなこと誰でも知っているだろう、と。

ところが、彼の思う「誰でも知っていること」が、前提として理解されないと、話が前に進まないのだ。

「よくわからんな、ケンスケ。もう少し説明してくれ」

うーん、どう説明すっかな、とケンスケは頭頂部を撫で続けた。

「じゃあ、とにかく思ったことを順に説明しよう」

ケンスケの説明はこういうことだった。



鼠の目#395(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概



さらにケンスケは追い討ちをかけるように続けた。

「そもそもの始まりは、川崎真知子が妹の真理子を波動から奪還してくれ、ということだった」

オレは頷くしかなかった。

「ところがその川崎姉妹は、いつの間にかつるんで神さびた土地にキャンプを拵えている。
それも山下刑事の話だと、武装している可能性が高い。川崎真知子の依頼そのものが、すでに意味をなさないことになる。だって、姉妹一緒にいるんだ。奪還もクソもない」

「それじゃ何のためにオレたちは、そこへ向かおうとしているのか。オレたちは長田に吸い寄せられるような状態になっている。なぜか。長田が和田洋子と宮崎一平殺しの犯人だからだろ?しかし、それだけでオレたちがなぜ動かなきゃならないんだ。犯人を検挙する、それは警察の仕事、そうじゃないのか?」

「関わりたくないのか、ケンスケは?」

「いや。そうじゃない。興味はある。見届けてやろうじゃないか、そういう覗き見根性があることは否定しない。ただ…」

「ただ、なんだ?」

「オレたちが行動する理由は和田洋子の仇をうつために、和田さんを助力するため、そればかりじゃないと感じている」

「意味がわからんぞ」

「波動に引き寄せられるなにかがある、そう思えて仕方がない」

「オレは断固、波動のシンパサイザーではない」

「それはそうだろう。しかしアンタはなんでここまでのめりこむ。和田さんを愛しているからか?」

オレはウッとつまった。

「オマエさんが和田さんを愛していることはいい。和田さんは素敵な女性だ。そして和田さんの娘は長田に殺られた。だから和田さんを助けるためにオマエさんが、手を貸す。これもいい。しかし、それはオマエと和田さんの関係であって、オマエが川崎真知子から受けた依頼とは一切リンクしていない。そこなんだよ。オレが腑に落ちないのは」

オレは黙ってケンスケの言葉を聞いていた。



鼠の目#394(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

タイムズ


ケンスケは新聞を広げて見ている。

やはり、文化面の波動の記事をじっと眼で追っている。

視線が最後の行を通過した。

読んだか、とケンスケがいった。

「ああ。学者先生のご高説はどうあれ、これから起きるであろうことを予言した名論文ってことになるんだろうな」

「ちがうね。そうじゃない」

「というと?」

「こういうテーマで書かせようとした、記者の慧眼さ。第一、このスペースを提供したのは、この新聞社だからな。つきつめればそれがミもフタもない事実だろうぜ」

「そういえば、山下刑事も、マスコミの一部が動き出した、といっていた」

「総じて、新聞記者なんてのはどうしようもない夜郎自大が多いけどね、たまにとんでもなく鼻とフットワークが利くやつがいる」

「いずれマスコミの大集合ってことになるだろう」

「ああ。すごいぜ、きっと。公安や警察もウカウカしていられない。ヤツラはマスコミに叩かれるのを極端に嫌う」

「習い性だ」

「だろうね」

「大騒ぎになる前に、収束させたいという公安のバイアスがかかるだろう」

「メンツってやつね」

「彼らのメンツが発露される前にカタをつけなきゃいけない」

ケンスケが沈黙した。

なにかを思いつめるような沈黙だった。

時間にすれば僅かだったかもしれんが。

ケンスケが口を開いた。

「有体に尋ねるけど、いったいカタをつける、ってアンタ、なにをどうしたらカタをつけることになるんだい?」

核心にいきなり、ナイフ刺しこめられるような問いだった。



鼠の目#393(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

爆発


「慌しそうじゃん」

ケンスケが顎を撫でながらいった。

「終章へ向かってカデンツア、ってことじゃないか」

オレは受話器をフックに戻した。

「それはないだろ。まだ終わりもなにも、始まってないぜ」

確かにそうだ。

ケンスケのいうとおりだ。

終わりがあるとしても、今は終わりの始まり、あくまでトバ口に過ぎない。

蠢いていたカオスが一点に向かって収束しつつあるように思える。

それも建設でなく、破壊。

徹底無残な破壊。

巨大なエネルギーが一気に弾けそうな気配だ。

その予感はケンスケにもあるようだ。しきりに顔を撫でている。

「ケンスケ。おまえもなにか感じるか?」

「ああ。愉快な予感はたたねぇな。外人部隊の頃、乾坤一擲の白兵戦がおっぱじまる時のような気分だな」

「しかし、オレたちはオブザーバーのはずだぜ」

オレはハイライトに火をつけ、その火をケンスケにも進めた。

「傍観者ですむと思うか?」

「すませたいがな。オレたちも当事者とならざるをえないか?」

「わからんが、用心するにこしたことはない」

ケンスケはパッケージから取り出したセイラムに火を点けた。

「オレはオブザーバーで終わらせたいんだがな」

「和田さんはどうするだろう」

「わからん。暴走は身体を張ってでも止める」

「できるか?」

「できる、と思う」

「和田さんだぜ、相手は」

「わかっている」

そうか、といってケンスケは並びのいい白い歯を見せた。

オレと和田さんのことに気付いている、そう思わせる微笑だった。



鼠の目#392(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

地図


「一点、オマエに教えてやる。よく聞いとけ」

山下の口調が改まった。

「明日、県警と公安、合同で山に入る。先発隊として少人数が山に向かった。軍隊用語でいえば斥候、だ。その報告をうけて派遣部隊を編成する。それで本格的な出動は明日、ということになる。オマエたちも山に向かうんだろ?」

「ああ。先発隊に少し遅れるが」

「できれば、先発隊と出会いたくない、そう思っただろ?」

「そう。会えば追い返されるのは必定だろう」

「反対から入れ」

「え?」

「先発隊は通常のトレッキングルートから入る。今、地図があるか?」

ちょっと待ってくれ、とオレは受話器を置き、書棚から大縮尺の地図帳を取り出した。

あの神さびた土地付近の地図を広げた。

いいぜ、地図を広げた、と山下に伝えた。

「波動のキャンプ場所はわかっているな?」

「正確ではないかもしれんが、それほどの誤差はない」

「そこに行こうと思えば、どうする?」

山下刑事のの問いに、オレは素直に答えた。

車でJR幹線から伸びた枝線の終点、そこから登山口まで入る。あとは歩きだ、と。

「そのルートで先発隊も入る。誰でもそうするだろうからな」

「うむ」

「そのルートはその土地の西側から侵入することになる。オマエたちが、先発隊に出っくわさないためには、東側から入るんだ」

地図を見ると、東側はその山地の脊梁、核心部分にあたる。

東から入るためには大きく南側へ迂回し、さらに廃道にちかい林道を北にあがり、そこから先は…地図ではよくわからない。

「どういうルートなんだ?」

「質問はなし、といったろ。第一、それくらい自分で調べるんだな。便利屋なんだろ、オマエは?」

そうだ。

そうだった。

迂闊な発言だ。

「すまない。情報に感謝する」

「ついでにもう一点だ。鼻の利く新聞記者が動き始めた。ネタ元は知らん。署内は厳重な緘口令だが、ひとの口に戸は立てられん。そこも考えとくんだな」

「しかし、山下刑事。なぜそこまで教えてくれる」

「定年前刑事の逆上ってこったな」

それだけいうと、電話が切れた。



鼠の目#391(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

深山


「急に動き出した、という印象だ。それも昨日から、という慌しさだ。公安からは警戒レベルを上げよ、と指令が来た。波動本部、川崎家が監視下にある。さらに彼らが結集しているあの土地を監視下に入れる。彼らはオウムで懲りているからな。対応がまずいとマスコミに叩かれる」

「マスコミ怖さかね」

「質問はなし、といった」

まったく、この山下刑事ってのは食えない野郎だな。

「それで、だ。波動についてはオマエのほうに若干のアドバンテージがあると認める。で、オレは職務上の倫理を逸脱してオマエに一つ教えてやる。それと交換だ。オレの質問に答えろ」

「なんだ」

「宮崎一平、和田洋子殺しが長田の手によるものとわれわれも判断している。証拠収集はこれからだがな。ま、それはいい。長田はあの土地に向かったのか」

「オレはそう踏んでいる」

「証拠は?」

「ない。しかし、そう考えるしかない」

「当然、川崎姉妹もいるんだろ?」

「いるね。そいつは間違いない」

「なぜわかる」

「川崎良子と篤子に確認した」

「その話はオレに伝えなかったな」

「オレは職業上の倫理を踏み外さない。フリーランスなんでね。信用をなくしたら食っていけない。ある意味、警察よりシビアなのだ」

山下の、フンと鼻先でいう音が聞こえた。

ケンスケは興味なさそうにカウチの背もたれに身体を預けていた。

しかし、聞き漏らすまい、と自分の鼓膜に注意を払っている雰囲気はよくわかった。

「知りえたことは全部話せ、とオレは警告した」

「それは聞いた。しかし、オレの商売は自分で護るしかない」

しばらく沈黙のあと、かもしれん、と山下がボソッといった。

食えない刑事だが、有能であることは認めざるをえない。



鼠の目#390(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

アフガン


ホカホカと湯気をあげる梅昆布茶を手に、ケンスケは倒産ラブホから失敬したカウチに腰掛けた。

ズズッと啜る。

「フーッ、コーヒーなんぞよりはるかにうまいな」

「へぇ、ケンスケもコーヒーが嫌いか」

「いや、あれはあれで呑む。第一、日本以外じゃ梅昆布茶なんてないからな」

「そりゃそうだろう」

「コーヒーは中枢神経を覚醒させ、攻撃的になる飲み物と思っている。その点、日本茶や、ああ、特に梅昆布茶なんてのは、気持ちを沈静させ、静謐な思考に向いている」

「おや、飲料文化学ってわけかい。でもこれからは攻撃的にならざるを得ないかもしれんぜ」

「だからさ。人間はバランスが必要だ。攻撃一方、守備一方じゃ形にならねぇ。メリハリって考えりゃいい」

ケンスケはうまそうに梅昆布茶を啜る。

一体、このケンスケという男、長い付き合いだが、懐の深さには驚かされるばかりだ。

武闘派でありながら、薄茶をこよなく愛す。

ナイフを握らせれば剣呑この上ないが、ブルースギターを弾かせると、訥々渺々と魂を揺さぶる。

オレなどの想像の及ばぬ旅を続けていたのだろう。

無論、ヤツが自分からいわない限り、尋ねても答えもしないが。

事務所の電話が鳴った。

カウチ越しに手を伸ばし受話器を取った。

聞きなれた不機嫌そうな声がした。

「山下だ」

「早朝から、どうした」

「手短に用件だけいう。質問はなしだ」

オレは受話器を握り締めたまま、カウチから立ち上がり、机に向かった。

声のトーンからすると、歓迎されざる話に思える。

「公安が動き始めた。波動の監視を始めようとした矢先に、あの土地の住民から所轄を通じて通報があった」

「それで?」

「彼ら波動一派が武装しているのではないか、と思われるフシがある。メンバーの出入国履歴を検索すると、フィリピンやパレスチナ、あるいはミャンマー、ボリビア、アフガンへの渡航歴がゴロゴロでてきた」

「いずれも紛争地域だな」

「波動のダミー商社のインボイスもあやしい。ライフルや実包ではないか、と推察される」

「おいおい、それじゃまったくのゲリラ集団じゃないか。あ、これは質問じゃない。感想だ」

オレは握った受話器が汗ばむのを感じた。



鼠の目#389(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

ミレー


チェッ、わかったようなわからねぇような、これだからエライ学者先生のハナシはわからねぇ。

詮ないことを思いながら、オレはハイライトを吹き上げた。

新聞をバサナサと畳み、二杯目の茶を啜っていると、チーッス、というケンスケの声が聞こえた。

あいかわらずぶっきらぼうな挨拶だ。

「早いな、昼までにはまだ時間があるぜ」

「いいさ。それのオレは目覚めが早くてね」

「不眠症か?」

「バカな。習い症さ。戦場では切れ切れに眠ることを覚えないと身がもたない。それは引いては自分の命を護ることでもあるんでね」

なるほど。

そういうこともあるだろうな。

オレは単に加齢と不眠症のもたらす睡眠障害であるだけだがね。

「身支度はできてるのか?」

「おいおい、オレはプロだったんだぜ。チャラチャラしたアウトドア屋とは違う。命が掛かっている野外活動なんだ。外人部隊っていう名のね」

そういいながら、ケンスケはドア近くに置いたミレーのバックパックを顎でしゃくった。

「軍用は目立つからね。これなら脳天気な登山にみえるだろ。それにフランス製という親近感もある」

見たところ、35リットルというサイズあたりか。

長期戦は無理だが、ツエルトをまとえば二、三日ならしのげるだろう。

和田さんは?とケンスケがいった。

一瞬、オレの鳩尾に突風が吹き去った。

「まだだ。女性だからなにかとあるさ。それに時間も早い」

オレは動揺を悟られぬよう、努めてゆっくりと答えた。

「そう。じゃ、オレも茶でももらうわ。梅昆布茶はいつものとこかい」

「ああ。和田さんがちゃんと始末してくれてんだろ」

ケンスケが流し場でお湯を沸かす音が聞こえた。



鼠の目#388(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

<主な登場人物>

オレ=初老のフリーランス便利屋、通称、鼠。説教多し
オカマのマリー=オカマバーの女将、陸上自衛隊OB
ケンスケ=オレの助っ人、仏外人部隊脱走兵
山下=定年前の所轄の刑事
和田由美子=事務所の雑用を請け負ってくれている素敵な女性
和田洋子=和田さんの一人娘
川崎真知子=オレの依頼人。川崎徳一の孫
川崎真理子=真知子の妹
徳永高男=波動研究会の会長、川崎徳一の嫡外子
文龍名=カルト教団・統合真理教会のボス、波動の最高幹部も兼ねる
後藤=徳永の部下、事務方、対外折衝部門の長
宮崎一平=和田洋子のサークル仲間。波動研究会の末端メンバー
長田=波動のメンバー、上島上等兵の息子、徳永の非公然活動を担う
滝川順平=靴屋の隠居、川崎徳一の戦友
川崎徳一=本名・李光徳、川崎姉妹の祖父
川崎良子=川崎徳一の夫人。川崎聖一の母。古朝鮮の祭祀一族の末裔
川崎聖一=川崎徳一の息子であり、川崎姉妹の父。徳一の死後、失踪
川崎篤子=川崎聖一の妻。川崎姉妹の母。廃宮家の末裔
上島上等兵=滝川、川崎の終戦時の上官。長田の父親

コット


長田は宿舎用に設営されたテントに入った。

天井に電池式の蛍光灯が吊り下げられていた。

五人ほどが、コットに寝そべったり、腰掛けたりしている。

のっそり現れた長田にみのの視線が集中した。

知っている顔はなかった。

誰何する声が出る前に、長田は名乗った。

「長田という。諸君らとは初めてだろう。波動じゃあまり表に出ることがなかったんでな。むしろ諸君がトレイニングを受けた側とのコレスポンディング任務が中心だった。あー、だから海外のほうが長い。そろそろオレも合流するべきだろうと思ってな、今、ここへ入ってきた。文龍名とも話をした。まあ、よろしく頼む」

長田は「海外」にことさらアクセントをこめて語った。

ブラフをかましたのだ。

しかし、そのブラフはテントの中ではけっこう効いた。

彼らも緊張の中、なにかにすがりたいと祈るような思いだったのだろう。

「訓練期間は長かったんですか」と一人の若者が尋ねた。

緊張し、引き締まった表情だ。

「あ?ああ。結構長かった」

「じゃ、ライフル訓練も長かったんですね」とコットに腰掛けた別の若者がいった。

「うむ。派遣された訓練キャンプの場所柄、カラシニコフの経験は薄いんだがな。M16ばかりだった。まあ、いずれにせよ歩兵用小火器だ。直感的にできると思う」

これもブラフだ。

「じゃあフィリピンあたりかな」

「いや、まあ、それはいいじゃないか。あまり語りたくない」

長田は韜晦するようにいった。

若者たちはそれで納得したようだった。

「眠りたいんだが、どのコットを使えばいい」

「あいているところを、どこでもどうぞ」

その答えに、長田は一番奥のコットに腰掛けた。

靴を脱ぎ、男臭い毛布を引き上げた。

明日はどこからか靴下とブーツを調達しなきゃな、と思った。

「じゃあ、疲れてるんで、先に寝るわ」

三分後、長田の鼾が聞こえてきた。

長田は基本三大欲でのみ生きる粗暴単純な男なのである。



鼠の目#387(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

セレクタ


西村が完全に闇に溶けたのを確認すると、長田は武器庫テントに身体を滑り込ませた。

一丁のカラシニコフを手にした。

想像していたより、それははるかに軽かった。

殺戮用の武器という思いがなければ、強化プラスチック製のちゃちな工具にしか感じられない。

もっとも、ライフルが重く、取り回しに難渋するようでは兵士には使えないだろう。

見た目の重厚さより、軽く、堅牢で、なによりも操作性が高くなければならない。

バンテージで固定された左手で銃身を固定する。

銃床を右肩につけ、右手で引き金に手を入れる。

思わず引き金を引きそうになり、あわてて引き金から指を離した。

フーッという大きな溜息がでた。

せめてセイフティがロックされていることぐらい確認しなきゃな。

長田はしげしげと銃のボディを眺めた。

マガジンの上部にSAFETYと記載があり、クリック式のレバーがついている。

多分、これがそうなのだろう。

LOCKとREREASEとある。

直感的に操作できるようになっているのだ。

なるほどな、と呟き、セレクタレバがセイフティロックの位置にあることを確認した。

再度、銃床を肩に当て、照準と照星を合致させる。

半端な知識だがこれでいいはずだ。

無論、銃個別の弾道のズレはあるはずだ。

しかし、そんなことを調べたって、クソの役にもたたねぇ。

こんなことは頭や事前準備でやるもんじゃない。

最後は度胸でブッ放せるかどうかだ。

気合でいきゃいいんだろうが。

長田の頭は、まず川崎姉妹の居室を警護していた男を殺すことで一杯だった。

都合のいいことに、ライフルもある。

それに派手にドンパチも目前のようだ。

ドサクサに紛れて、あの警護野郎をブッ殺してもバレやしないさ。

長田は凄惨な引き攣った表情をした。