鼠の目#477(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

無題

男の名前は安田といった。

圭角のある性格のためか、会社内では浮いた存在だった。

もうそろそろ50歳近いというのに、出世にも縁遠く、在勤年数に応じて付与される資格職があるきりだった。

服装やファッションにはてんで関心がなく、そのモッサリした風貌ともあいまって、ずっと独身のままだった。

ただ彼には記者として天賦の才があった。

粘着して取材対象から離れない、ということだった。

そのためには彼は身銭を切ることすら厭わなかった。

どうせ独り者の気安さもある。

さらにTV業界とは高給で知られる職種だ。

安田は、これぞ、という取材対象者には過剰なほどその懐に飛び込んでいった。

無論、そのことが相手に嫌がられることも度々あった。

しかし、安田は一切、斟酌しなかった。

(どうせオレが放送記者でなくなれば、ハナもひっかけられないのだ。ならば引っ掻き回せる間は、とことん引っ掻き回してやる)

安田は放送記者の名刺のありがたさがわかっていた。

名刺一本で政治家でも経済人でも文化人でも堂々と面会できる。

ときにそれは己の実力と勘違いするバカもいるが、オレはそんな夜郎自大じゃない。

先輩が作り上げた会社に対して相手は敬意を表しているだけだ。

いや、もっとはっきりいえば、取材対象者はTVでバッドニュースを放送されたらどうする、という恐怖感に支配されているのだ。

ここはゴマをすっとかないとマズイ、と判断しているにすぎぬ。

どうせオレが退職したら、アンタ誰?と無視されるだけだ。

オレには地位も名誉も金も知力もない。

素寒貧のなんにもない、だ。

ならば名刺の力は使えるうちに使ってやろう。

クソ面白くもない人生を少しでも面白くするために、利用できることはトコトン利用してやれ。

ある意味、安田はエキセントリックではあるが、マスコミの傲岸不遜からは一番遠い地点にいた。