鼠の目#483(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

toku071016C.jpg
<主な登場人物>

安田には現実感が乏しかった。

そこに死体が転がり、射殺した、いわゆる犯人が目前で土下座をしている。

歌舞伎の世話物でもこうはいかないんじゃないか、安田はそんなことを思っていた。

顔中を涙と鼻汁でグジャグジャにさせた若者にが、むしろ哀れに思えて仕方がなかった。

「なぜ君は警官を射殺したんだね」

安田は泣きじゃくる波動の若者に問うた。

それはごく自然な記者根性の発露だった。

「なぜ…なぜといわれても…。そこに敵がいて…大先師様の『殲滅せよ』の命令があったわけですし…」

「じゃあ、君は機械的に引き金を引いただけだというのかね?殺意がなかったとでも?」

「ええ。ええ。無論そうです。本当に死ぬなんて思わなかった」

「ライフルで打ち抜けば、人は死ぬだろう?そのことは理解していたんじゃないかね?」

「いや、あの、えーと、どうなんかな。ええ、そうです。死ぬんだろうな、という予感はありました」

「だから殺そうと思ったんだろう?」

安田の記者としての知りたがりがムクムクと大きくなり始めていた。

これは大スクープだ。

その思いが強くあった。

でなければ、ムービーカメラを回しっぱなしにできるわけはない。

ああ、これで放送協会賞は取れたも同然だ、と内心ほくそ笑んだ。

いったろうが。

取材対象に1ミリでも近づくこと。

でなければマトモな原稿なんてできるもんか。

吐き気とともに胃液を吐き散らしたことなどすっかり忘れ、安田は震えるような興奮を感じていた。

「君は人を殺したことがあるのかね?」

安田はカマをかけた質問をしたつもりだった。

しかし、波動の若者は口に手を当て逡巡し始めた。

おい、待て。

こいつ、ほかにも人を殺したことがあるのか?

安田の警戒アラームが大きな音を脳内で発し始めた。