鼠の目#389(ほぼ全文はリンクで)

鼠の目・これまでの梗概

ミレー


チェッ、わかったようなわからねぇような、これだからエライ学者先生のハナシはわからねぇ。

詮ないことを思いながら、オレはハイライトを吹き上げた。

新聞をバサナサと畳み、二杯目の茶を啜っていると、チーッス、というケンスケの声が聞こえた。

あいかわらずぶっきらぼうな挨拶だ。

「早いな、昼までにはまだ時間があるぜ」

「いいさ。それのオレは目覚めが早くてね」

「不眠症か?」

「バカな。習い症さ。戦場では切れ切れに眠ることを覚えないと身がもたない。それは引いては自分の命を護ることでもあるんでね」

なるほど。

そういうこともあるだろうな。

オレは単に加齢と不眠症のもたらす睡眠障害であるだけだがね。

「身支度はできてるのか?」

「おいおい、オレはプロだったんだぜ。チャラチャラしたアウトドア屋とは違う。命が掛かっている野外活動なんだ。外人部隊っていう名のね」

そういいながら、ケンスケはドア近くに置いたミレーのバックパックを顎でしゃくった。

「軍用は目立つからね。これなら脳天気な登山にみえるだろ。それにフランス製という親近感もある」

見たところ、35リットルというサイズあたりか。

長期戦は無理だが、ツエルトをまとえば二、三日ならしのげるだろう。

和田さんは?とケンスケがいった。

一瞬、オレの鳩尾に突風が吹き去った。

「まだだ。女性だからなにかとあるさ。それに時間も早い」

オレは動揺を悟られぬよう、努めてゆっくりと答えた。

「そう。じゃ、オレも茶でももらうわ。梅昆布茶はいつものとこかい」

「ああ。和田さんがちゃんと始末してくれてんだろ」

ケンスケが流し場でお湯を沸かす音が聞こえた。